× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
もっと見つめていて あたしきっと上手になって 香りある女になるから だから 暮六つ時。島原のとある座敷で宴会が繰り広げられていた。チントンシャン…と美しい三味線の音が響き、可憐な妓たちが舞っていた。そしてキリのいいところになって、三味線を弾いていた芸妓がパンパンと手を叩き、他の舞妓共に声を掛けた。 「…あんたらはもう戻ってええし。お疲れさんどす。はよ行きよし。」 「「「「「は~い。失礼しま~す。」」」」」 ばたばたと舞妓たちが部屋を出て行った。部屋には芸妓一人と浪人風の男共が十数名ほど残って一瞬しん…と静まり返る。それまで笑顔を絶やさなかった芸妓が一転変わって、神妙な面持ちで男共に小声を掛ける。 「ほんまにやってくれはるんどすやろね?」 「おう、任せておけ。俺達にも新選組には相当な恨みがあるからな。」 その頼もしい言葉に芸妓が手を叩いて喜ぶ。 「まあ、嬉しい!うちも新選組にすっごい憎いお人がおりますのや!もうそいつったら女心の欠片もわからへん野暮天やし、饅頭には目がないし、人のこと仔犬扱いするし、とんでもなく冷たい態度を取ったかと思たら、いけしゃあしゃあと会いに来はるし、上司はすっごい女ったらしやし…。」 「…お、おい?」 芸妓の物凄い剣幕に浪人共がたじろぐ。芸妓ははっと我に返って咳払いをした 「え?あぁ、こほん!えぇっと、とにかく!きっときっとうちの恨みを晴らしてぇや!お武家様!」 「ああ、お前が新選組の幹部共を誘き出す手筈でいいな!?」 「へえ、よろしおす。」 「では、決行は明日の暮れ六つで…。」 「…いいえ。」 「何?」 「…今すぐお願いします」 と同時に芸妓の後ろの障子がスパンッと開いた。障子の向こう、その芸妓の背後には新選組の面々がずらりと並んでいた。そしてその中の長身の男がずいっと一歩前へ出た。 「新選組一番隊組長沖田総司です!神妙に縛につきなさい!」 それを合図にわぁっと一斉に新選組の捕物が始まった。居を衒った浪人共が次々と捕縛されていった。ある者は抵抗し、斬り捨てられでずん、と畳の上に沈む。 「お、妓~!謀ったな~!!!」 その光景に狼狽した浪人の一人が裏切り者の芸妓に斬りつけようとするが、それは一瞬の風に阻まれた。ギリギリと刀の軋む音が辺りに響いた。 「…感心しませんね。丸腰の女子に斬りつけるなんて。ちょっと気持ちは解らないでもないですが、騙される男も悪いんですよ。」 と総司が自分の背に芸妓を庇い、返り血を浴びる事無く瞬時に浪人を斬れ付した。そして大方の捕物が終了した頃 「…沖田先生。」 ふと背中の羽織を掴まれる。総司はその聞き覚えのある声に驚愕して自分の背に隠したその人に恐る恐る振り返った。総司の心の臓は一瞬止まったかもしれない。刹那、声すら出なかった。 「………た、た、た、たた太夫~~!?」 総司の素っ頓狂な雄叫びが京都の闇夜に木霊した。その声に遠くで野犬が共鳴し、わぉ~んと遠吠えも聞こえたとか。(笑) PR
「おい!総司、どこ行ってやがったんだ!!!フラフラほっつき歩ってんじゃねえ!!!」
「ひどいなぁ…土方さんったら……。」 と言いつつ総司の顔はへらへらと笑っていた。一見いつも通りの様だが、弟分の張り付いた笑顔の能面にこの勘のいい兄分が誤魔化される訳もなく… 「ん…?どうした?妓にでも振られたか?」 総司の能面が一瞬固まる。その笑顔を崩す事はなかったけれども。しかし流石の土方、いきなり図星を突いて来た。総司は笑顔の下でセイが身請けされてしまった事を土方に話そうかどうしようか迷った。先日会わせたばかりなのに早々にこんなことになってしまって、本当に土方の忠告通りになってしまい何をどう話していいのかわからなかった。それ見た事かと罵られるだろう。総司は困った様にいつもの愛想笑いをするしかなかった。 「…ふん。まあいい。それより仕事だ!」 「……………はい。」 (ちっともよくないんですけどね…。) しかし仕事に私情を挿む事は局中法度はおろか、総司自身もそれを由とはしなかった。総司は自分の感情を斬り捨てた。 すでに近藤、山南と始とする幹部連中は局長室に揃っていた。総司は何事もなかった様にすっと列に習って座った。 「よし、これで揃ったな。例の長州浪人どもの会合場所が判明した。囮を使って奴らを誘き出し一網打尽にする!決行は暮六つ!左之の十番隊は気取られる事無くいつも通り巡察に向かうべし。一番隊、二番隊、三番隊は食事を済ませ夜まで待機。いつでも出られる様にしておけよ!久々の大捕り物だ!」 土方の指示に、おう!と皆の雄叫びが上がる。 「大丈夫か?沖田さん。」 同室で鎖を着込む総司に斎藤の声が掛かる。 「何がです?」 「いや、いい。」 斎藤も総司の様子が少しおかしい事に気づき何か言葉を掛けてやるつもりだったが、相変わらず笑みさえ浮かべている総司にもはや何を言っても届くまいと悟った。総司の瞳は斎藤はおろか、何も映してはいなかったからだ。光さえなかった。 斎藤の胸がちくりと痛んだ。
ドサッ!
総司が饅頭の包みを落として自分の耳を疑った。 「…今、何て言ったんです?」 「せやからセイ太夫は先日落籍されました。」 「…やだなぁ、何言って…。」 「沖田センセ…。」 花家の女将と総司のやり取りを立ち聞きしていた明里がどうにもやりきれず、奥から青白い顔を出す。 「あ。明里さん。冗談なんでしょう?太夫はどこです?」 「…沖田センセ……ほんまなんどす!おセイちゃんはもうここにはおらんのどす…。」 「…とか何とか言って、また拗ねちゃってどっかに隠れてるんじゃないんですかぁ?」 「………ここには…おらんのどす…。」 明里はその場に泣き崩れた。明里の嗚咽が花家に響いた。その痛々しい光景に呆けていた総司もどうにも観念せざるを得なかった。 「…そうですか。はは…お饅頭、無駄になっちゃったなぁ。」 夕焼けの中、総司はトボトボと来た道を歩いていた。乾いた下駄の音がやけに大きく虚しく響く。結局セイの落籍先すら教えては貰えなかった。 (嫌だなぁ。乱心の余りそこへ斬り込むとでも思われてんでしょうかね?やれ壬生狼だ、人斬りだ、などと言われているからっていくらなんでもそんな事はしませんよ…。ただ…。) いつの間にか屯所への道を外れてどこかの寺の境内に来ていた。 「あれ…?」 ここはどこだ…?と辺りを見回すと一本の大きな木が目に入った。今正に満開の桜の木だった。刹那に吹雪いて桜の花びらが雨の様に総司に降り注ぐ。 「全く、どこまでも嫌味なんだから…。」 セイに初めて会った時、自分は迷子になって泣いていた。それまでの総司は齢十にもなるというのに馬鹿がつくほど泣き虫で、よく泣いて駄々をこねては姉たちや近藤を困らせていた。 セイはその時泣いてはいなかった。自分よりずっと小さな女の子が精一杯涙を我慢して目を見張りながら必死で兄を探していた。あまつさえ、泣いていた自分に『武士の子は泣いちゃ駄目』と嗜め、励ましたのだ。 それから自分は泣かなくなった。泣けなくなったのだ。当の彼女は今でもあんなに泣き虫のクセして。 総司は自分の頬にそっと手をやった。しかしそこに伝うものは何もなく、さらさらと乾いた頬の感触に自分でも呆れ果てた。 「…こんな時にすら涙も出ないなんて、貴女のせいですよ。」 自分に関われば貴女が不幸になると解っていながら、それを願ってしまった自分にバチがあたったのか?理不尽でしょうけど、それでも私は貴女を恨みます。きっと幸せになってと思いながらも、私を捨てた貴女を恨みます…。 泣けない総司の代わりに桜の雨はいつまでも降り続いた…。 「ただ、貴女にもう一度会いたかった…。」 完。 …な訳もなく、傷心の総司に現実は容赦なかった。やっとの思いで屯所に帰った総司に土方の怒鳴り声が響く。
「総司、トシから聞いたよ。お前のいいお人は我が新選組の為に大層素晴らしい働きをしてくれたそうじゃないか!なんともお前にふさわしい勇敢な女子ではないか!私は嬉しいよ!」
新選組の屯所に久方ぶりに長の豪快な声が響いたのは次の日であった。新選組局長、近藤勇である。近藤は出張から帰営して早々総司を呼び出し、開口一番そう告げた。 「こ、近藤先生…っ。何も泣かなくても~…。」 総司は自分の敬愛する近藤に、急にセイの話題をされて耳まで真っ赤になった。近藤は本気で涙を流している。その隣で土方がニヤニヤしていた。…何か企んでいる笑い。総司は嫌~な予感がして額にツツ、と脂汗を流す。涙を拭い、近藤がさらに言葉を続ける。 「私の留守中にそんな事があったとは…すっかりお礼が遅くなってしまった。是非とも彼女にお礼がしたいので、明日にでも一席設けようではないか!総司の選んだそのお人のご尊顔も賜りたいしな!なあ、総司!会わせてくれるな?」 「えええ~!?」 土方の時は嫌だと即答したが、さすがの総司も近藤に言われればとても断れない。土方の高笑いが聞こえる様だった…。 近藤、土方、沖田と花家に馴染みのいる山南も参加して、早速次の日には花家で宴が催された。 「ようこそ、おいでやす。」 四人の待つ座敷にセイ、明里、他の妓たちがやってきて、座敷が一気に華やいだ。近藤は早速セイに声を掛ける。 「貴女ですか?我が新選組の為に尽力してくれた総司の敵娼というのは!件で真っ先にお礼に駆けつけなければならぬものを、この様に遅くなってしまって面目至極もない。あ、申し遅れました。私は新選組局長の近藤という者で、いわば総司の親代わりです。こいつは末っ子の為か、どうも甘えたでね。きっと貴女に迷惑をかけてばかりでしょう。申し訳ない。」 近藤が深々と頭を下げる。近藤にかかれば総司など大童である。 「近藤先生…、あんまり余計な事言わないでくださいよぅ。」 と総司があたふたするが、そんな総司を尻目にセイは 「まあ、そんないけません、お顔をお上げになって下さいまし。」 と近藤に頭を上げさせ、ふっと気品ある笑顔で言葉を続ける。 「花家の太夫でセイと申します。近藤局長様のお話は沖田先生からいつも伺っておりましたので、お目にかかれて大変光栄にございます。そんな…尽力だなんて滅相もございません。こんな卑しい妓に勿体無いお言葉を仰って頂き、お心痛み入ります。こちらこそ出過ぎた真似をしましてお詫びの言葉もございませんそれをご容赦頂けるだけでも有難いのに、こんなお心遣いまでなさって頂いて、なんとお礼の葉もございません…。どうぞ、今宵はご存分にお寛ぎ遊ばして下さいまし。」 と何とも堅苦しい挨拶が交され、総司は蚊帳の外に放り出された。セイは極上の笑みで近藤に御酒を勧める。 「なんとも控えめで気品のある美しい人ではないか!上品で慎ましい貴女にそんな武勇伝があるとはまるで信じられない!お前には勿体無いくらいだ!なあ、総司!」 近藤は一目でセイを気に入り、益々上機嫌だ。 「はあ…ありがとうございます、近藤先生。」 と総司は応えるものの、怪訝な表情を浮かべる。チラッとセイの方を見やるが、セイは余裕の笑みで返す。 「ほう、あんたか噂の太夫か。俺は副長の土方だ。一応俺からも礼を言わせて貰おう。」 「まあ、そんな副長様まで…恐れ入ります。」 そう言ってセイは土方にも酌をした。杯を受けながら土方は尚もセイの顔をじろじろと眺める。その切れ長の瞳に見つめられてセイがたじろぐ。土方にこんな眼差しで見つめられたら、普通の女子ならイチコロであろう。セイは女の直感で思う。 (この人…女子の扱い慣れてる…。ってゆーか慣れ過ぎ!) 「へえ、確かに総司の敵娼にしちゃ悪かねえかもな。」 「ふふふ、お上手ですね。」 少し警戒しながらも、セイはさらに極上の笑みでかわし、総司の脇に戻っていった。土方はその尻を見送りながら 「ふーん。」 と何かに感心したかの様に杯を仰いだ。 自分の隣に戻ってきたセイを総司が肘でこつく。 「…?何ですか?」 セイが総司の方を向き、首を傾げる。総司はセイの耳元に小声で囁いた。心なしか少し拗ねた様子だ。 「…また随分いつもと違うじゃないですかぁ…。私にはあんな風に優しくしてくれた事なんてないくせに。何をそんなに大きな猫を被ってるんです…?」 と口を尖らせる総司に 「こっちがいつもの私です。先生のお相手してる時は先生に合わせているだけですから。」 セイはしれっと答えて総司にも営業用の笑みをくれてやった。総司が呆然とする。そんな様子を山南と明里はくすくすと楽しそうに眺めていた。 (女子って恐ろしい…。) 総司は心底痛感して肩を竦め、自分の杯をちろっと舐めた。 宴も酣(たけなわ)になった頃、 「トシ、何だ随分長い厠だったな。腹でも下しているのか?」 暫く席を外していた土方に心配した近藤が声をかける。 「近藤さん、こんな席でそんな無粋な事言うねえ。少し酔いを醒ましていただけさ。そろそろお開きにしねえか?」 「ああ、そうだな。総司はどうするかね?」 「明日は巡察がありますから一緒に帰ります。太夫、また…。」 総司が名残惜しそうにセイの手を一瞬強く握って離す。 「はい…。」 あと三日もない自分の身請け話を総司にはしていない。とても出来なかった。もう遅い、と思いながら、セイは総司に今凄く愛されている実感があった。総司の感触が残る自分の指を握り締めてセイは刹那の幸せを噛み締めていた。 (もう少しだけ…。) その時土方もセイに声をかけてきた。 「今日はありがとよ。どうやらあんたとは長い付き合いになりそうだ。これからも宜しくな、おセイさん。」 ポンッとセイの肩を軽く叩く。セイにはとても返事が出来なかった。そしてこの含みのある言葉の意味をこの時のセイには知る由もなかった…。 「太夫と何話してたんです…?土方さん。」 廊下の角を曲がったところで総司が土方を待ち伏せていた。総司の眉間には珍しく二本の皺。土方はいつもの事だが。 「別に…手前がふがいねえからな。宜しくしてやってくれと挨拶してやってたんだよ。」 「…ほんとにそれだけですか?」 納得がいかない総司は敵意満々だ。 「他に何があんだよ。しかし確かに思ったよりもいい妓じゃねえか。ぼやぼやしてっと誰かに捕られちまうから気ィつけな。」 「余計なお世話です。」 ぷいっと総司が土方に背を向けた。 総司の背中を見送った後、堪えていた涙が一気に溢れ出す。 (今だけは私…先生の恋人と思ってもいいんですよね…?) こんなに幸せな事はなかった。総司に愛されている実感…。総司の身内に紹介して貰えた事…。でも所詮は女郎。自分には過ぎた幸せだったのだ。そう思うしかなかった。 「……ふぇ……ぅ…せんせぇ…っ。」 セイはその晩声を上げて童子の様に泣き明かした。 ごめんなさい、沖田先生。 セイは貴方を裏切ります。 でも、セイは幸せでした。 他のお人に落籍されても貴方の事だけを生涯慕い続けます。 こんな私はきっと地獄に落ちるでしょう。 沖田先生、こんな私をずっと憎んでいて …………… 私を忘れないで。
セイは自分の膝を枕にして眠る愛しい男の髪を撫でた。その細い指先が骨ばった大きな手にはしっと掴まれた。
「先生、起きてらしたんですか…?」 「すみません…その…○回も…。」(○には好きな数字を入れよう!(笑)) …情事の後で色気もヘッタクレもない言葉。セイが呆れて言葉を返す。 「相当溜まってらしたんですねぇ。」 「あ、そーいう事言いますか?私がここに至るまでにどれだけ苦悩した事か…。」 「わあ、先生もそんな事考えていらしたんですね!知りませんでした!てっきり私よりお饅頭が恋人なのかと…。」 「そりゃお饅頭も好きですけど…十年来の恋を実らせるのに、この繊細な男心がわからないかな…もう。」 「え?何ですか?」 「いいえ、何でもありません!そうですね~、この太腿もお饅頭もみたいでおいしそうですよね!」 とセイの白い太腿を撫で上げて間髪ド突かれる。所詮今まで散々ド突き漫才を繰り広げていた二人には、 いざコトに及んだからといって、途端に艶っぽい関係には為りきれる筈もなく、こんなピロートークがお似合いであった。 総司が突然、そうだ!と思いついた様に口を開く。 「そーいえば、聞いてないんですけどね…。」 「何をです…?」 セイは首を傾げた。 「その…貴女から…あ、愛の言葉…。」 「…はあ!?」 「…だって~、私は今日散々言いましたよ。だのに貴女は『嫌い』の一点張りで…(泣)。今はそうじゃないって解っているつもりなんですけど、やっぱり聞きたいじゃないですかぁ。」 (ほほう、この野暮天からこんな言葉を聞く日が来ようとは…。) とセイは妙な感心をした。あの野暮に泣かされた苦悩の日々がセイの心に走馬灯の様に駆け巡り、 懐かしさすら覚えて遠い目になった。明後日の方角を向いてうっとりと目を細めているセイに対して 「ねえ、太夫ってば!」 総司が痺れを切らした様に拗ねた口調で強請る。強請られて言うのも何だか恥ずかしいが、こんな事に意外と頑張る総司に観念してセイはそっと彼の耳をくすぐる様に小さく呟いた。 「…お慕いしております…」 「え?よく聞こえなかったですよ。太夫もう一度…。」 「もう二度は言いません!女子に恥をかかせないで下さい!」 「えええ、そんな~っ。」 何だか納得出来ない総司だったが、セイと通じた幸せを噛み締めて、今度こそセイの膝の上で眠りについた…。 総司の寝顔を見つめていたら、ふと彼の髪を撫でる手が落ちてくる雫に濡れる。セイの瞳から大粒の涙が溢れていた。 (先生、ごめんなさい…ごめんなさい…ごめん、なさ…。) セイは精一杯声を殺して泣いた。 …総司は気付かない。
「セイ、今更何を悩む事があるん?ええ話やないのん。」
カツンッとキセルを叩いて花家の女将が言う。 「………。」 セイは真っ直ぐ見据えたまま、何も答えなかった。その顔に表情は無く、まだ支度前で洗い曝しの漆黒の髪を下ろしたその姿は、まるで人形の様だ。 「何の不満があるっちゅうねん。あんなぁ、太夫かて所詮女郎や。身請けしてくれるっちゅうお人の話を断る阿呆がどこにおんねん。そないな偉い身分ちゃうで。しかも若旦那はん、あんたには勿体無いくらいええお人やないか!あんまり待たせたらあかんで!あと三日で返事しい!わかったな!」 女将がピシャリと言い放つ。あと三日…タイムリミットが定められてしまった。あと三日で総司が来る自信は今のセイにはない。例え来たってどうこう出来る話じゃなかった。こんな事ならあの時総司の為に死ねた方が良かった。あの人は迷惑だって言うだろうけど。 (だったらもう私会わない方がいいのかも…。会ったら私…。) きっと決心がつかない。醜くも、連れて逃げてとあの人に縋ってしまうかもしれない。武士として志の高いあの人が、そんな事をしてくれるハズが無い。第一、もうとっくに愛想を尽かされてしまったのだ。会いにくる訳が無い。 そんな矢先…その男は現れてしまった。 「太夫!ご無沙汰しちゃってます~。」 一ヶ月振りに総司が花家に姿を見せた。どのツラ下げて…とはよく言ったものだが、照れたようにはにかんだいつもの笑顔。セイは目の前が真っ白になった。 (なんて、なんて勝手で酷い男だろう…。セイの馬鹿ぁ…何でこんな人を好きになっちゃったの?) 人が一生懸命諦めようと必死なのに、人の気も知らないで。会えたからって現状は何も変わらない。心が揺らぐだけだ。 「…へえ、沖田先生。まだ私の事、覚えててくれたんですね。」 精一杯低い声でセイが呟く。 「何言ってるんですか。忘れる訳がないでしょう!?この前はすみませんでした!あんな事言ってしまって、貴女に会わす顔がなかったんですよ。でも貴女に会わないなんて、私には甘いものを我慢するのと同じぐらい大変でしたよ。」 大きく頭を下げた後、いつもの軽口で総司が笑う。 (ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ…!) セイは溜まらず泣き出した。その場にしゃがみ込んで蹲る。酷い、ズルイと思いながら、心のどこかで喜んでいる自分がいる。また自分に会いに来てくれたことが、死ぬほど嬉しい。彼の顔、彼の声、彼の髪、彼の指、彼の身体…全てが愛しい。どんなに冷たくされても忘れる事なんて出来なかった。でももう、遅い。 「た、太夫?具合悪いんですか?」 総司が心配そうに近寄って、その肩に触れようとした時、 「触らないで!」 セイが叫んだ。驚いた総司が手を引っ込める。 「もう帰って…お願いだから…帰って…くださ…。」 「太夫、どうしたんですか?理由を言って…。」 「貴方が…嫌いになったんです…お願いだから…。」 ブチッ! 総司の中で何かが切れた。今までだって散々嫌いと言われてきたけれど、今度は何だか様子が違う。 「ああ、そうですか!それはお邪魔様でしたね!」 総司は勢いよく踵を返し、数歩歩いたところでチラッと後ろを振り向くが、蹲ったままセイが自分を引き止める様子はまるで無い。だがしかし、自分だって散々悩んで、彼女を不幸にしてでも鬼になると決めたのだ。ここであっさり『はい、そうですか』と帰る訳にはいかない。総司の中の鬼が目を開く。 「ああもう!私だってそんなにお金が有り余っている訳じゃあないんですから!」 とまた踵を返し、セイにずかずかと近寄るとセイをひょいと抱き上げた。余りの事態にセイも周りも仰天する。 「や…降ろして!離して!触らないで~!」 セイが叫ぶ。ポカポカと頭を叩かれているが、そんな事はお構いなしに総司は涼しい顔で 「あ、皆さんお騒がせ致しました。一応、線香尽きるまでお借りしますんで、じゃ!」 とセイを連れて部屋に入って行ってしまった…。周りがあっけに取られている後ろで、おろおろと不安顔の明里が立っていた。 「きゃっ!」 少し乱暴に降ろされて、セイは悲鳴を上げた。まだ総司とは頑なに顔を合わせようとしない。 「この前の仕返しですか?さすがに傷つきましたよ。それで許しては貰えませんかね?」 「……どうして先生が傷つくんです…?」 俯いたままセイが呟く。蚊の鳴くような声だったが、総司は聞き逃さなかった。 「そりゃあ、嫌いと言われれば傷つきますよ。私は貴女が好きなんですから。」 セイが驚いて顔を上げる。やっとこっちを向いたと総司が笑う。 「嘘…!」 「何でこんな時、私が嘘を言わなきゃならないんですか…。」 はあ、とさすがに溜息が漏れた。 「だってそんな事、一言も…。」 「…あのねえ、貴女も大概野暮ですねぇ。好きじゃなきゃ何が楽しくて貴女の所にせっせと通いますか?私はそんなに酔狂じゃありませんよ。」 「な、先生に野暮だなんて言われたくありませ…。」 セイはその台詞を最後まで言い終える事が出来なかった。ふいに唇を塞がれたからだ。一瞬何が起こったのか解らなかった。ただ総司の少し長い前髪が自分の額にかかるくらい、総司の顔が間近にあった。その状況を漸く理解した時、セイの瞳から熱い雫が流れ落ちた。頬に当てていた手がふと濡れたので、セイが泣いていると気付いたけれど、総司にはもう止められなかった。口を割り、更に舌を進めるとセイの舌を絡め取る。 「…っん…ふ……。」 苦しい…。セイは懸命に総司の肩を押すがびくともしない。抗えば抗うほどに口付けは更に激しくなる。セイは苦しさの余り総司の唇に噛み付くと、漸く総司はセイを開放した。二人の息が荒い。総司は血の滲んだ唇を拭って、搾り出すように呟いた。 「………嫌いなんて、言われたんですから…優しくなんか出来ないですよ…。」 言うと同時に、今度は布団にセイを押し倒した。強い力でセイを羽交い絞めにする。 「…なんで、今更…こんな事…。」 組み敷かれた下で、セイはポロポロと泣きながら総司を睨む。本当はずっと望んでいた事だ。でも今総司を受け入れたら、溺れてしまう…きっと気が触れてしまうほどに。どうせ離れなければいけない運命なら、拒んで、罵って、突っぱねて、いっそ総司に愛想を尽かされた方がずっとマシだ。想い出の中でなんて生きられない。セイは自分を奮い立たせながら、再度総司を睨みつける。総司も覆いかぶさる上からセイの瞳を見ていた。セイはその総司の顔にはっとした。その表情は苦しげで、 「…拒まないで…本当に貴女が…好きなんです……。」 泣いてはいなかったけど。セイはもう総司の顔が潤んで見えなかった。ずっとずっと片思いだと思っていたセイの胸は嬉しくて、切なくて…引き千切れそうだった。総司の唇がセイの首筋に降りてきて、軽く吸われる。その甘い感触にセイの体がびくっと反応する。思わず声が漏れそうになるのを唇を噛み締めて何とか堪える。襟が割られ、総司の舌が更に降りてくる。気が遠くなりそうになりながら、セイは総司の襟首を掴む。 (駄目…!拒まなきゃ…っ。) 総司の目が一瞬見開かれる。未だ抵抗し続けると思われたセイの指が襟元から進入して、総司の肩に直に触れてきた。総司の襟元が少し肌蹴る。そしてもう一方の手も総司の首に甘く絡まってきた。驚いた総司がセイと視線をかち合わす。 「………嫌い、です…。」 セイの最後の抵抗。結局総司を拒む事なんて出来はしない。 「…まだ言いますか…。ほんとに優しく出来なくたって知りませんから…。」 そんな言葉とは裏腹に今度は優しく口付けた。
あなたに落書いた嘘の言葉が肌色によく光る 「嫌い」 総司はセイと初めて出会った時の事を思い出していた。 それはもう十年も前の事。奉公先の近藤に連れられて市ヶ谷八幡にお参りに行ったとき、近藤と逸れて泣いていた自分を励ました、お人形のように綺麗な幼い少女。自分だって迷子だったのに、凛として前を見据えた少女を総司は忘れる事が出来なかった。今思えばそれが宗次郎の初恋だったのだろう。置屋で初めてセイを見かけた時は息が止まるかと思った。それから総司は彼女の元に通い続けたのだった。 (あ~あ、もう行くまいと決めていたのだから、斎藤さんを止める権利なんて私にはありはしないのに、何であんなこと言っちゃったんでしょうか?斉藤さんが運命だなんて言うから…。) 気がつけば桜の花びらがちらほらと舞って、総司の掌に一つ収まった。 「皮肉ですかねぇ。」 彼女と初めて会ったのもこんな桜の時。桜吹雪は総司の心をざわつかせた。あんな酷い言葉を吐いて彼女を泣かせたのに。彼女を危険から遠ざける為に吐いた台詞だ。それで嫌われたって自分さえ我慢すれば済む事だ。冷たい仕打ちをしたのなら、それを突き通さなければ意味がない。またのこのこ会いに行ったりしたら、それこそ彼女の傷つき損だ。…だけど。 「あ~もう!」 総司の頭は許容範囲を超えた思考に今にもパンク寸前だ。 「ほんとにこれこそ鬼の所業ですよね。」 と自分に言い訳をして走り出した。また彼女が危険に晒されるかもしれないというのに、会いたいと思う心。恋する鬼は悩み多き年頃…というには、少~し上だった。そしてずっと斉藤が居た事を鬼はすっかり忘れていた。 「沖田さん、独り言…でかすぎる…。」
「沖田さん、隣いいか?」
自分の部屋の縁側で、刀の手入れをしている総司の横に、斎藤が立っていた。 「ええ、どうぞ。斎藤さんの部屋の前でもあるんですから、何の遠慮があるんです?」 くすくすと総司が笑う。 「それもそうだな。では遠慮なく。」 と斎藤が腰掛ける。そして一つ咳払いをして切り出した。 「あんたの馴染みの事だが…。」 「え…?」 総司が仕上げに刀を拭いていた手拭いを取り落とす。 「最近通ってないようだな。非番の日はいつも部屋にいる。」 「ああ、ちょっとお金なくって…はは。」 と乾いた笑いをして手拭いを拾う。 「…そうか。あんたがもう行く気がないのなら、俺が通ってもかまわんか?」 「は?斎藤さん何言って…。」 「…思い出したんだ。あれは今は亡き友人の妹でな。遠目で判り辛かったが、あの大きな瞳は間違いないだろう。あれの本名は富永セイ。家は町医者だったが、家事で焼けたと聞いている。あれの兄で俺の友人、富永祐馬はその時に父親と共に死んだらしい。妹はその後行き方知れず、どうしたのかと気になってはいたが、まさか遊女になっているとはな…。」 「へえ、じゃあ斎藤さんはおセイちゃんが好きだったんですか?」 とセイの過去を知っていた訳ではなかったが、斎藤の話しに別段驚く訳でもなく、総司がへらっと聞いた。 「ああ、多分な。」 斎藤もしれっと答える。 「多分って…そんなんで…。」 「友人の可愛い妹だと思っていた。何しろ富永が妹を溺愛していたものだから、他の男なぞなかなか近づけなかったし、俺も修行中の身であったから、当時そこまでは考えが及ばなかった。思い出した時、…少し運命を感じた。」 ざわっと庭の木々が揺れる。そしてまた静けさを取り戻した時総司が口を開く。 「…そうですか。太夫は私のモノではないですから、ご自由に…って言いたいところですが、そんな運命なら私の方が勝っていますから、その理由ではちょっと頷けないですね。」 「どういう意味だ?」 「ご自分の方が出会いが早いと思ってます?太夫は忘れちゃってて、それがちょっと哀しいんですけど…。」 「………?」 「これ以上は秘密です。」
その後、セイは新選組の捕り物が成功したらしいと風の噂で聞いた。首尾の良さから敵は一網打尽、新選組に犠牲者は一人も出なかったという。
「良かったぁ…。」 という言葉とは裏腹に、セイの瞳は悲しみに潤んでいた。 あれから総司はセイのところに一度も顔を出していない。 「おセイちゃん、お饅食べる…?」 と明里がセイを元気付ける為にお茶と饅頭を用意したが、それが返って総司を思い出させた。 「ううう、明里姐さ~ん。沖田先生来ないよぅ。私やっぱり嫌われちゃったんだ~!」 「おセイちゃん…。」 明里も慰める言葉が見つからない。そっと頭を撫でてやる。少し痩せた様に見えるセイが不憫でならない。しかし 「…セイ姐さん、万屋の若旦那がお見えでっせ。」 とお志津が呼びに来た。こんな時にも遊女は仕事である。 「ああ、今行く…。」 セイはすくっと立ち上がり、支度を始める。 「おセイちゃん…。」 「大丈夫!他にも贔屓にしてくれるお客さんいるし!私は大丈夫だよ…じゃあ行ってくるね!」 セイは明るく言い放ち、仕事の顔になって部屋を出て行った。セイの裾音が聞こえなくなると明里は呟いた。穏やかな彼女の言葉にしては珍しく、少し怒気が含まれていた。 「沖田先生の阿呆ぅ。おセイちゃんこないにしはって…。」 そこへい~い(悪い?)タイミングで、山南が訪ねてきた。 「いったいどーいうおつもりどす?」 明里の怒りは山南に向けられていた。哀れ、とばっちりを食った山南は明里を宥めるが、総司の気持ちも解らなくはなかった。 「君の怒りは最もだけど、総司の気持ちもね、解ってあげて欲しいんだよ…。」 「そら、おセイちゃんは危険を顧みんと、お節介したかもわかりまへん。しやけどそれでうまくいかはった聞いとります!せやのに何で来いひんの!?お礼言うてくれとまでは言わへんけど、沖田センセの為に、おセイちゃんがどんだけ…。」 山南は苦笑して聞いていたが、男の立場でちょっと反論してみることにした。 「総司はね、怖いんだよ。」 「…何がどす?」 明里が首を傾げる。山南が優しく論す。 「これ以上自分が太夫に関われば、また太夫を危険に晒す事になるって、恐れているんだ。自分さえ来なければ、太夫を泣かせる事もない、とね。」 「何ちゅう臆病モンや!おセイちゃんを見縊らんといて!」 おおよそ彼女の言葉とは思えないほど、明里はピシャリと言い放った。思わず山南は後ずさって息を呑む。 「おセイちゃんは、生半可な気持ちでお節介焼いたんとちゃいます!沖田センセの為に命懸けられるんどす!その覚悟を受け止められへんやなんて、何ちゅう器の小っさいお人や!」 明里の言葉に山南は耳が痛い。セイの話をしているが、きっとこの妓も同じくらいの強さを持ち合わせているであろう。女子とは何と強い生き物か。女子が弱いなどと思っているのは、勝手な男の思い込みかもしれない。 「…解ったよ、明里、総司にはそう伝えておこう。この話はこれで終いにしていいかい?君の口から他の男の話を聞くのは、ちと辛いかな…。例え総司の話であってもね。」 と山南は片目を瞑って笑ってみせた。 「何言うてはるん…。」 山南のかわいい妬きもちで、明里に漸く笑顔が戻った。 一方こちらはセイの座敷。 「若旦那…そのお話は…。」 手を強く握られて、セイは困っていた。 「何でや?太夫?わては早うこないな所から太夫を解放したい思とるんや!決して太夫に不自由なんかさせへんさかい、ええ返事を聞かしたってえな…!わての事嫌いなん?」 「嫌いだなんて、そんな事ありません。」 「せや何で…!」 (無理強いしないし、いい人なんだけど…。) セイは何とか万屋の若旦那を傷つけない理由を考えていた。万屋の若旦那は皮肉にも齢は総司と一緒、割と男前な上仕事も真面目で評判も良い好青年であった。セイがここに来た当初から贔屓にしてくれていて、セイもこの男を嫌いではなかった。今まで散々プロポーズをかわしてきたので、そろそろ万策尽きていた。目を泳がせているセイに対して若旦那はこれだけは言うまいと思っていたが、それでセイの心を動かせるなら…と、とうとうその言葉を口にした。 「…太夫に他に好いた男がおる事は知ってんねん…。それでも、わての傍にいて欲しいんや!太夫がそのお人を忘れるまで、いつまででも待つよって…後生や…。」 優しい言葉にセイは涙が出そうになった。心に引っかかるのは総司の事。でも恋人…と胸張って言える仲ではないし、何といっても総司は最近とんと姿を見せない。愛想を尽かされたのだとしたら、頑なに断り続ける理由があるだろうか? 「すみません、若旦那…。もうちょっとだけ…。」 「…わかった…。ええ返事待ってるで。」 セイは心の整理を付けられずにいた。
総司が向かった先は、真っ直ぐに土方の部屋。
ドタドタドタドタドタ! ガラッ! ピシャ! 「土方さん!」 土方の部屋の障子が勢いよく開いて閉じられた。 「何だよ、煩えな。もっと静かに入って来れねえのかよ?」 呆れた顔で土方が振り返る。肩で息をしている尋常でない弟分の様子に端整な眉をしかめて、とにかく座るよう即し、自分の呑みかけの温い茶を差し出す。総司はそれを一気に飲み干した。 「で、どうしたよ?」 「実は…。」 と漸く一息ついた総司はセイから聞いた一部始終を土方に話し始めた。聞き終わった土方が 「へええ。手前にしちゃまたずいぶんと度胸のある、上等な出来た妓じゃねえか。どこの置屋の妓だ?」 と珍しく感心した。そんな土方の言葉に総司はカッとなって反論する。 「な、冗談じゃないですよ!無茶にも程があります!こんなことをして一歩間違えれば、殺されていたかもしれないじゃないですか!なんて、なんて馬鹿なことを…。」 袴を握る手が俄かに震えていた。セイがこんな危険を冒したのは、紛れもなく自分のせいだ。セイが自分の為に命を落とすなんて、考えただけで、怒りとも、恐怖とも思えるほど身体が震えた。そんな様子を土方はわき目に見ながら 「ともかく手前がどう思おうと、聞き捨てならねえネタだ。信用できるかどうかは別として、山崎に調べさせる価値はあるな。日もねえ事だしさっそく…。」 と人を呼んでてきぱきと指示を出し、さっさと準備に取り掛かり始めた。 「…ってサクサク話を先に進めないで下さいよ!土方さん!私は怒ってるんですから!!ああ、私が彼女に関わらなければ…。」 と頭を抱えている総司に土方は 「…で、その様子じゃ手前その妓に迷惑だとか何とか抜かしてきやがったんだろ。可哀想にな、今頃泣いてんぜ。」 と溜息をついた。この男、新選組では誰もが恐れる鬼の副長であったが、この弟分と女子の心情に関しちゃ赤子の手を取るように察するに容易なことであった。 「う…。」 図星を突かれてたじろぐが、駄々っ子は尚も食い下がる。 「…だって、あまりにも軽率なんだもの。事の重大さがまるで解ってないんです…。きっと自分の命を危険に晒しただなんて、少しも思っちゃいないんだ…。」 最後の方はうわ言になっていた。土方は再度溜息をついて、 「そうじゃねえだろ?そいつは…。」 と言いかけて止めた。 (そいつは、手前の命懸けてもいいほどお前に惚れてんじゃねえかよ…。) 「…?…何です…?」 と総司が上目遣いで言葉の先を即す。が、元来意地悪な性分の土方は、そこまで教えてやる気はなかった。 「馬ー鹿、手前で考えろ。それより面白え妓だな。別嬪か?俺にも今度会わせろや。」 土方はどうやらセイに興味を持ったらしい。 「絶対嫌です。」 総司は即答した。総司は土方に対して本能で、不逞浪士との斬り合いの時よりも危機感を覚えていた…。 |