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「セイ、今更何を悩む事があるん?ええ話やないのん。」
カツンッとキセルを叩いて花家の女将が言う。 「………。」 セイは真っ直ぐ見据えたまま、何も答えなかった。その顔に表情は無く、まだ支度前で洗い曝しの漆黒の髪を下ろしたその姿は、まるで人形の様だ。 「何の不満があるっちゅうねん。あんなぁ、太夫かて所詮女郎や。身請けしてくれるっちゅうお人の話を断る阿呆がどこにおんねん。そないな偉い身分ちゃうで。しかも若旦那はん、あんたには勿体無いくらいええお人やないか!あんまり待たせたらあかんで!あと三日で返事しい!わかったな!」 女将がピシャリと言い放つ。あと三日…タイムリミットが定められてしまった。あと三日で総司が来る自信は今のセイにはない。例え来たってどうこう出来る話じゃなかった。こんな事ならあの時総司の為に死ねた方が良かった。あの人は迷惑だって言うだろうけど。 (だったらもう私会わない方がいいのかも…。会ったら私…。) きっと決心がつかない。醜くも、連れて逃げてとあの人に縋ってしまうかもしれない。武士として志の高いあの人が、そんな事をしてくれるハズが無い。第一、もうとっくに愛想を尽かされてしまったのだ。会いにくる訳が無い。 そんな矢先…その男は現れてしまった。 「太夫!ご無沙汰しちゃってます~。」 一ヶ月振りに総司が花家に姿を見せた。どのツラ下げて…とはよく言ったものだが、照れたようにはにかんだいつもの笑顔。セイは目の前が真っ白になった。 (なんて、なんて勝手で酷い男だろう…。セイの馬鹿ぁ…何でこんな人を好きになっちゃったの?) 人が一生懸命諦めようと必死なのに、人の気も知らないで。会えたからって現状は何も変わらない。心が揺らぐだけだ。 「…へえ、沖田先生。まだ私の事、覚えててくれたんですね。」 精一杯低い声でセイが呟く。 「何言ってるんですか。忘れる訳がないでしょう!?この前はすみませんでした!あんな事言ってしまって、貴女に会わす顔がなかったんですよ。でも貴女に会わないなんて、私には甘いものを我慢するのと同じぐらい大変でしたよ。」 大きく頭を下げた後、いつもの軽口で総司が笑う。 (ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ…!) セイは溜まらず泣き出した。その場にしゃがみ込んで蹲る。酷い、ズルイと思いながら、心のどこかで喜んでいる自分がいる。また自分に会いに来てくれたことが、死ぬほど嬉しい。彼の顔、彼の声、彼の髪、彼の指、彼の身体…全てが愛しい。どんなに冷たくされても忘れる事なんて出来なかった。でももう、遅い。 「た、太夫?具合悪いんですか?」 総司が心配そうに近寄って、その肩に触れようとした時、 「触らないで!」 セイが叫んだ。驚いた総司が手を引っ込める。 「もう帰って…お願いだから…帰って…くださ…。」 「太夫、どうしたんですか?理由を言って…。」 「貴方が…嫌いになったんです…お願いだから…。」 ブチッ! 総司の中で何かが切れた。今までだって散々嫌いと言われてきたけれど、今度は何だか様子が違う。 「ああ、そうですか!それはお邪魔様でしたね!」 総司は勢いよく踵を返し、数歩歩いたところでチラッと後ろを振り向くが、蹲ったままセイが自分を引き止める様子はまるで無い。だがしかし、自分だって散々悩んで、彼女を不幸にしてでも鬼になると決めたのだ。ここであっさり『はい、そうですか』と帰る訳にはいかない。総司の中の鬼が目を開く。 「ああもう!私だってそんなにお金が有り余っている訳じゃあないんですから!」 とまた踵を返し、セイにずかずかと近寄るとセイをひょいと抱き上げた。余りの事態にセイも周りも仰天する。 「や…降ろして!離して!触らないで~!」 セイが叫ぶ。ポカポカと頭を叩かれているが、そんな事はお構いなしに総司は涼しい顔で 「あ、皆さんお騒がせ致しました。一応、線香尽きるまでお借りしますんで、じゃ!」 とセイを連れて部屋に入って行ってしまった…。周りがあっけに取られている後ろで、おろおろと不安顔の明里が立っていた。 「きゃっ!」 少し乱暴に降ろされて、セイは悲鳴を上げた。まだ総司とは頑なに顔を合わせようとしない。 「この前の仕返しですか?さすがに傷つきましたよ。それで許しては貰えませんかね?」 「……どうして先生が傷つくんです…?」 俯いたままセイが呟く。蚊の鳴くような声だったが、総司は聞き逃さなかった。 「そりゃあ、嫌いと言われれば傷つきますよ。私は貴女が好きなんですから。」 セイが驚いて顔を上げる。やっとこっちを向いたと総司が笑う。 「嘘…!」 「何でこんな時、私が嘘を言わなきゃならないんですか…。」 はあ、とさすがに溜息が漏れた。 「だってそんな事、一言も…。」 「…あのねえ、貴女も大概野暮ですねぇ。好きじゃなきゃ何が楽しくて貴女の所にせっせと通いますか?私はそんなに酔狂じゃありませんよ。」 「な、先生に野暮だなんて言われたくありませ…。」 セイはその台詞を最後まで言い終える事が出来なかった。ふいに唇を塞がれたからだ。一瞬何が起こったのか解らなかった。ただ総司の少し長い前髪が自分の額にかかるくらい、総司の顔が間近にあった。その状況を漸く理解した時、セイの瞳から熱い雫が流れ落ちた。頬に当てていた手がふと濡れたので、セイが泣いていると気付いたけれど、総司にはもう止められなかった。口を割り、更に舌を進めるとセイの舌を絡め取る。 「…っん…ふ……。」 苦しい…。セイは懸命に総司の肩を押すがびくともしない。抗えば抗うほどに口付けは更に激しくなる。セイは苦しさの余り総司の唇に噛み付くと、漸く総司はセイを開放した。二人の息が荒い。総司は血の滲んだ唇を拭って、搾り出すように呟いた。 「………嫌いなんて、言われたんですから…優しくなんか出来ないですよ…。」 言うと同時に、今度は布団にセイを押し倒した。強い力でセイを羽交い絞めにする。 「…なんで、今更…こんな事…。」 組み敷かれた下で、セイはポロポロと泣きながら総司を睨む。本当はずっと望んでいた事だ。でも今総司を受け入れたら、溺れてしまう…きっと気が触れてしまうほどに。どうせ離れなければいけない運命なら、拒んで、罵って、突っぱねて、いっそ総司に愛想を尽かされた方がずっとマシだ。想い出の中でなんて生きられない。セイは自分を奮い立たせながら、再度総司を睨みつける。総司も覆いかぶさる上からセイの瞳を見ていた。セイはその総司の顔にはっとした。その表情は苦しげで、 「…拒まないで…本当に貴女が…好きなんです……。」 泣いてはいなかったけど。セイはもう総司の顔が潤んで見えなかった。ずっとずっと片思いだと思っていたセイの胸は嬉しくて、切なくて…引き千切れそうだった。総司の唇がセイの首筋に降りてきて、軽く吸われる。その甘い感触にセイの体がびくっと反応する。思わず声が漏れそうになるのを唇を噛み締めて何とか堪える。襟が割られ、総司の舌が更に降りてくる。気が遠くなりそうになりながら、セイは総司の襟首を掴む。 (駄目…!拒まなきゃ…っ。) 総司の目が一瞬見開かれる。未だ抵抗し続けると思われたセイの指が襟元から進入して、総司の肩に直に触れてきた。総司の襟元が少し肌蹴る。そしてもう一方の手も総司の首に甘く絡まってきた。驚いた総司がセイと視線をかち合わす。 「………嫌い、です…。」 セイの最後の抵抗。結局総司を拒む事なんて出来はしない。 「…まだ言いますか…。ほんとに優しく出来なくたって知りませんから…。」 そんな言葉とは裏腹に今度は優しく口付けた。 PR
あなたに落書いた嘘の言葉が肌色によく光る 「嫌い」 総司はセイと初めて出会った時の事を思い出していた。 それはもう十年も前の事。奉公先の近藤に連れられて市ヶ谷八幡にお参りに行ったとき、近藤と逸れて泣いていた自分を励ました、お人形のように綺麗な幼い少女。自分だって迷子だったのに、凛として前を見据えた少女を総司は忘れる事が出来なかった。今思えばそれが宗次郎の初恋だったのだろう。置屋で初めてセイを見かけた時は息が止まるかと思った。それから総司は彼女の元に通い続けたのだった。 (あ~あ、もう行くまいと決めていたのだから、斎藤さんを止める権利なんて私にはありはしないのに、何であんなこと言っちゃったんでしょうか?斉藤さんが運命だなんて言うから…。) 気がつけば桜の花びらがちらほらと舞って、総司の掌に一つ収まった。 「皮肉ですかねぇ。」 彼女と初めて会ったのもこんな桜の時。桜吹雪は総司の心をざわつかせた。あんな酷い言葉を吐いて彼女を泣かせたのに。彼女を危険から遠ざける為に吐いた台詞だ。それで嫌われたって自分さえ我慢すれば済む事だ。冷たい仕打ちをしたのなら、それを突き通さなければ意味がない。またのこのこ会いに行ったりしたら、それこそ彼女の傷つき損だ。…だけど。 「あ~もう!」 総司の頭は許容範囲を超えた思考に今にもパンク寸前だ。 「ほんとにこれこそ鬼の所業ですよね。」 と自分に言い訳をして走り出した。また彼女が危険に晒されるかもしれないというのに、会いたいと思う心。恋する鬼は悩み多き年頃…というには、少~し上だった。そしてずっと斉藤が居た事を鬼はすっかり忘れていた。 「沖田さん、独り言…でかすぎる…。」
「沖田さん、隣いいか?」
自分の部屋の縁側で、刀の手入れをしている総司の横に、斎藤が立っていた。 「ええ、どうぞ。斎藤さんの部屋の前でもあるんですから、何の遠慮があるんです?」 くすくすと総司が笑う。 「それもそうだな。では遠慮なく。」 と斎藤が腰掛ける。そして一つ咳払いをして切り出した。 「あんたの馴染みの事だが…。」 「え…?」 総司が仕上げに刀を拭いていた手拭いを取り落とす。 「最近通ってないようだな。非番の日はいつも部屋にいる。」 「ああ、ちょっとお金なくって…はは。」 と乾いた笑いをして手拭いを拾う。 「…そうか。あんたがもう行く気がないのなら、俺が通ってもかまわんか?」 「は?斎藤さん何言って…。」 「…思い出したんだ。あれは今は亡き友人の妹でな。遠目で判り辛かったが、あの大きな瞳は間違いないだろう。あれの本名は富永セイ。家は町医者だったが、家事で焼けたと聞いている。あれの兄で俺の友人、富永祐馬はその時に父親と共に死んだらしい。妹はその後行き方知れず、どうしたのかと気になってはいたが、まさか遊女になっているとはな…。」 「へえ、じゃあ斎藤さんはおセイちゃんが好きだったんですか?」 とセイの過去を知っていた訳ではなかったが、斎藤の話しに別段驚く訳でもなく、総司がへらっと聞いた。 「ああ、多分な。」 斎藤もしれっと答える。 「多分って…そんなんで…。」 「友人の可愛い妹だと思っていた。何しろ富永が妹を溺愛していたものだから、他の男なぞなかなか近づけなかったし、俺も修行中の身であったから、当時そこまでは考えが及ばなかった。思い出した時、…少し運命を感じた。」 ざわっと庭の木々が揺れる。そしてまた静けさを取り戻した時総司が口を開く。 「…そうですか。太夫は私のモノではないですから、ご自由に…って言いたいところですが、そんな運命なら私の方が勝っていますから、その理由ではちょっと頷けないですね。」 「どういう意味だ?」 「ご自分の方が出会いが早いと思ってます?太夫は忘れちゃってて、それがちょっと哀しいんですけど…。」 「………?」 「これ以上は秘密です。」
その後、セイは新選組の捕り物が成功したらしいと風の噂で聞いた。首尾の良さから敵は一網打尽、新選組に犠牲者は一人も出なかったという。
「良かったぁ…。」 という言葉とは裏腹に、セイの瞳は悲しみに潤んでいた。 あれから総司はセイのところに一度も顔を出していない。 「おセイちゃん、お饅食べる…?」 と明里がセイを元気付ける為にお茶と饅頭を用意したが、それが返って総司を思い出させた。 「ううう、明里姐さ~ん。沖田先生来ないよぅ。私やっぱり嫌われちゃったんだ~!」 「おセイちゃん…。」 明里も慰める言葉が見つからない。そっと頭を撫でてやる。少し痩せた様に見えるセイが不憫でならない。しかし 「…セイ姐さん、万屋の若旦那がお見えでっせ。」 とお志津が呼びに来た。こんな時にも遊女は仕事である。 「ああ、今行く…。」 セイはすくっと立ち上がり、支度を始める。 「おセイちゃん…。」 「大丈夫!他にも贔屓にしてくれるお客さんいるし!私は大丈夫だよ…じゃあ行ってくるね!」 セイは明るく言い放ち、仕事の顔になって部屋を出て行った。セイの裾音が聞こえなくなると明里は呟いた。穏やかな彼女の言葉にしては珍しく、少し怒気が含まれていた。 「沖田先生の阿呆ぅ。おセイちゃんこないにしはって…。」 そこへい~い(悪い?)タイミングで、山南が訪ねてきた。 「いったいどーいうおつもりどす?」 明里の怒りは山南に向けられていた。哀れ、とばっちりを食った山南は明里を宥めるが、総司の気持ちも解らなくはなかった。 「君の怒りは最もだけど、総司の気持ちもね、解ってあげて欲しいんだよ…。」 「そら、おセイちゃんは危険を顧みんと、お節介したかもわかりまへん。しやけどそれでうまくいかはった聞いとります!せやのに何で来いひんの!?お礼言うてくれとまでは言わへんけど、沖田センセの為に、おセイちゃんがどんだけ…。」 山南は苦笑して聞いていたが、男の立場でちょっと反論してみることにした。 「総司はね、怖いんだよ。」 「…何がどす?」 明里が首を傾げる。山南が優しく論す。 「これ以上自分が太夫に関われば、また太夫を危険に晒す事になるって、恐れているんだ。自分さえ来なければ、太夫を泣かせる事もない、とね。」 「何ちゅう臆病モンや!おセイちゃんを見縊らんといて!」 おおよそ彼女の言葉とは思えないほど、明里はピシャリと言い放った。思わず山南は後ずさって息を呑む。 「おセイちゃんは、生半可な気持ちでお節介焼いたんとちゃいます!沖田センセの為に命懸けられるんどす!その覚悟を受け止められへんやなんて、何ちゅう器の小っさいお人や!」 明里の言葉に山南は耳が痛い。セイの話をしているが、きっとこの妓も同じくらいの強さを持ち合わせているであろう。女子とは何と強い生き物か。女子が弱いなどと思っているのは、勝手な男の思い込みかもしれない。 「…解ったよ、明里、総司にはそう伝えておこう。この話はこれで終いにしていいかい?君の口から他の男の話を聞くのは、ちと辛いかな…。例え総司の話であってもね。」 と山南は片目を瞑って笑ってみせた。 「何言うてはるん…。」 山南のかわいい妬きもちで、明里に漸く笑顔が戻った。 一方こちらはセイの座敷。 「若旦那…そのお話は…。」 手を強く握られて、セイは困っていた。 「何でや?太夫?わては早うこないな所から太夫を解放したい思とるんや!決して太夫に不自由なんかさせへんさかい、ええ返事を聞かしたってえな…!わての事嫌いなん?」 「嫌いだなんて、そんな事ありません。」 「せや何で…!」 (無理強いしないし、いい人なんだけど…。) セイは何とか万屋の若旦那を傷つけない理由を考えていた。万屋の若旦那は皮肉にも齢は総司と一緒、割と男前な上仕事も真面目で評判も良い好青年であった。セイがここに来た当初から贔屓にしてくれていて、セイもこの男を嫌いではなかった。今まで散々プロポーズをかわしてきたので、そろそろ万策尽きていた。目を泳がせているセイに対して若旦那はこれだけは言うまいと思っていたが、それでセイの心を動かせるなら…と、とうとうその言葉を口にした。 「…太夫に他に好いた男がおる事は知ってんねん…。それでも、わての傍にいて欲しいんや!太夫がそのお人を忘れるまで、いつまででも待つよって…後生や…。」 優しい言葉にセイは涙が出そうになった。心に引っかかるのは総司の事。でも恋人…と胸張って言える仲ではないし、何といっても総司は最近とんと姿を見せない。愛想を尽かされたのだとしたら、頑なに断り続ける理由があるだろうか? 「すみません、若旦那…。もうちょっとだけ…。」 「…わかった…。ええ返事待ってるで。」 セイは心の整理を付けられずにいた。
総司が向かった先は、真っ直ぐに土方の部屋。
ドタドタドタドタドタ! ガラッ! ピシャ! 「土方さん!」 土方の部屋の障子が勢いよく開いて閉じられた。 「何だよ、煩えな。もっと静かに入って来れねえのかよ?」 呆れた顔で土方が振り返る。肩で息をしている尋常でない弟分の様子に端整な眉をしかめて、とにかく座るよう即し、自分の呑みかけの温い茶を差し出す。総司はそれを一気に飲み干した。 「で、どうしたよ?」 「実は…。」 と漸く一息ついた総司はセイから聞いた一部始終を土方に話し始めた。聞き終わった土方が 「へええ。手前にしちゃまたずいぶんと度胸のある、上等な出来た妓じゃねえか。どこの置屋の妓だ?」 と珍しく感心した。そんな土方の言葉に総司はカッとなって反論する。 「な、冗談じゃないですよ!無茶にも程があります!こんなことをして一歩間違えれば、殺されていたかもしれないじゃないですか!なんて、なんて馬鹿なことを…。」 袴を握る手が俄かに震えていた。セイがこんな危険を冒したのは、紛れもなく自分のせいだ。セイが自分の為に命を落とすなんて、考えただけで、怒りとも、恐怖とも思えるほど身体が震えた。そんな様子を土方はわき目に見ながら 「ともかく手前がどう思おうと、聞き捨てならねえネタだ。信用できるかどうかは別として、山崎に調べさせる価値はあるな。日もねえ事だしさっそく…。」 と人を呼んでてきぱきと指示を出し、さっさと準備に取り掛かり始めた。 「…ってサクサク話を先に進めないで下さいよ!土方さん!私は怒ってるんですから!!ああ、私が彼女に関わらなければ…。」 と頭を抱えている総司に土方は 「…で、その様子じゃ手前その妓に迷惑だとか何とか抜かしてきやがったんだろ。可哀想にな、今頃泣いてんぜ。」 と溜息をついた。この男、新選組では誰もが恐れる鬼の副長であったが、この弟分と女子の心情に関しちゃ赤子の手を取るように察するに容易なことであった。 「う…。」 図星を突かれてたじろぐが、駄々っ子は尚も食い下がる。 「…だって、あまりにも軽率なんだもの。事の重大さがまるで解ってないんです…。きっと自分の命を危険に晒しただなんて、少しも思っちゃいないんだ…。」 最後の方はうわ言になっていた。土方は再度溜息をついて、 「そうじゃねえだろ?そいつは…。」 と言いかけて止めた。 (そいつは、手前の命懸けてもいいほどお前に惚れてんじゃねえかよ…。) 「…?…何です…?」 と総司が上目遣いで言葉の先を即す。が、元来意地悪な性分の土方は、そこまで教えてやる気はなかった。 「馬ー鹿、手前で考えろ。それより面白え妓だな。別嬪か?俺にも今度会わせろや。」 土方はどうやらセイに興味を持ったらしい。 「絶対嫌です。」 総司は即答した。総司は土方に対して本能で、不逞浪士との斬り合いの時よりも危機感を覚えていた…。
「…何故貴女がその話を知っているんです!?」
セイが切り出したその話は、新選組が密かに監察に調べさせている件だった。二人は静かな茶屋に場所を移していた。セイの話は監察の情報に勝るとも劣らぬものだった。むしろ日付や細かい場所など詰めた段階の話で、新選組が喉から手が出るほど欲しかった情報だ。セイが意を決して男を誘惑し、身を呈して手に入れたものだった。 「………。」 にも関わらず、総司の反応は冷めたものだった。いつものおちゃらけた総司でないこともセイには新鮮であったが、それ以前にその冷めた反応に驚いた。実際もっと喜んでくれると思ったからだ。黙ってしまった総司にセイが恐る恐る声を掛ける。 「あ、あの…沖田先生…?」 腕組みをし、溜息をついてとうとう総司が重い口を開いた。 「全く、何を考えているんですか。」 あまりの低い声にセイは驚いた。 「え?」 (せ、先生怒ってる…?) セイには理由がわからない。 「貴女にそんな危険な事をしろと頼みましたか?」 「い、いいえ。私が勝手にした事です。」 「迷惑なんですよ。大事な捕り物に、女子の分際で首を突っ込まれちゃあ。」 「…!そんな言い方…!!私はただ先生のお役に立ちたくて…。」 (沖田先生を護りたくて…!) 「こんな真似をして、私が感謝するとでも思ったのですか?女子とは浅はかですね。」 「な、ひど…!」 セイはとうとう泣き出した。だが総司は慰める訳でもなく、さらに冷たく言い放つ。 「とにかく金輪際こういう事はお止めなさい。さあ店まで送りますよ。」 帰り道、セイは未だ涙を止められずにいた。前を歩いている総司の背中は気遣う訳でもなく、尚も冷たい。セイの嗚咽だけが辺りに響いていた。 (こんな冷たい人だったなんて…。) そんな事を思ううちに店が見えてきた。 「太夫…。」 不意にセイが顔を上げる。道すがらずっと黙っていた総司の重い口が漸く開いた。 「…こんな軽率な事は二度とお止めなさい。貴女はもっと自分の弱さを知るべきです。命がいくつあっても足りませんよ。さあ行って。店に入るまで見ていて上げますから。」 セイは溜まらず駆け出した。総司の顔を見るのが怖くて振り向く事も出来なかった。きっと自分に軽蔑の眼差しをくれているに違いない。セイの胸は張り裂けそうだった。 それを見送る総司は無意識に自分の親指を噛んでいた。血の滲むほどに…。 「おセイちゃん、どこ行ってたん!?心配したんよ…。」 明里が凄い剣幕で二階から降りてきた。しかしセイの方が何十倍も凄い剣幕で明里を驚愕させた。 「わ~ん、明里姐さん~っ!」 セイがぐちゃぐちゃの顔で明里に飛びつく。 「わっ!どないしたん!?何かあったん!?」 セイは大声を上げて泣きじゃくるだけで明里は暫く彼女に胸を貸してやる事しか出来なかった。 「おおお、総司じゃねえか!何でぃ意外と早え帰りだな!首尾はどーだったよ!?こっち来て話し聞かせろや…。」 と宴会中で半裸の左之が声を掛けるが、総司はどたどたと勢いよく横を通り過ぎるだけで彼に一瞥すらくれなかった。新八も障子越しから赤い顔を出す。 「どーしたどーした?」 左之は腹の切腹跡をボリボリ掻きながら言葉を吐き捨てる。 「何でえ、すかしやがって…って何かあったかな?」 「………………。」 今だ同席していた斉藤も怪訝に総司の背中を見送りながら右手の杯を仰いだ。
「沖田先生、女の方が屯所の前でお待ちです。」
そう平隊士に告げられ、 「え…?」 と稽古を終えた総司が答えている背後から、物凄い足音が聞こえてきた。 「「「総司の馴染みが来たって~!!!」」」 例の三人組だった。我先にと怒涛の如く駆けていく三人に総司は脇から足をことごとく引っ掛けた。大の男が面白い様に転がって行く。そして総司は足早に玄関に向かった。 「沖田先生!」 それは紛れもなくセイだった。 「た、た、太夫!ほんとに貴女だったなんて…。」 「すみませんね!私で!って他にも沖田先生を訪ねてくる女子がいらっしゃるんですか!?」 「……いる訳ないでしょう?もう、何だってハナっからそんな喧嘩腰なんです…?」 「どーだか。」 総司は大きく溜息をつく。拗ねるセイを可愛いとは思うけど如何せんここは屯所だ。物凄い数になっているギャラリーの刺さるような視線がちくちくと背中に痛い。 「しかし何て無茶をするんです!?新選組の屯所に太夫が一人でお忍びで来るだなんて!あああ、ここのところ忙しくて十日ほど顔を見せなかったんで寂しくなっちゃったんですか?」 と総司はマジなんだか冗談なんだかわからない事を言っていた。これでもかなり動揺しているらしい。 (あ~もう!道中は勿論ですが、こんな男所帯に来たりして、危ないじゃないですか~!全く野暮天女王なんだから~!) とセイが聞いたら『アンタにだけは言われたくない!』と突っ込まれそうな独白。しかし総司は、背後の連中の荒い鼻息まで聞こえてきて気が気じゃない。ところがそんな総司とは対照的に、セイの表情は凛として厳しかった。 「…大事なお話があるんです。」 「へ?貴女がこんな所にまで来るほどの大事な話って…?でもここでは何ですから、場所を移しましょうか。」 なにやら後ろから野次やら口笛が聞こえてくるが、総司は無視してずんずんと歩き出した。手を引かれているセイからは見えなかったが、総司は耳まで真っ赤に染まっていた。 「あれが総司の馴染みの太夫…。」 「ねっね、マジ可愛いっしょ!」 「あああ、羨ましいぜチクショー!俺も一途になろうかなぁ…。」 「……あれが沖田さんの馴染みか。」 「「「うわあっ!ビックリした~っっ!斎藤いつの間に!?」」」 「…さっきからずっといるが?」 と三人の組長の会話にもう一人の組長がこっそり紛れ込んできた。斎藤一、三番隊組長である。 「…あの娘、どこかで…。」 「何ィっ!?斎藤、彼女を知ってんのかよ!?」 「………。いや、確証はない。他人の空似かも知れん。」 「どこかで会った気がする…なんざ、陳腐な口説き文句じゃねえか!いけねえな、横恋慕は!」 「いや、そんなつもりは…。」 「ううん、いいんだよ斎藤さん。わかるよ、その気持ち!あんな可愛い子だったら、俺だって惚れちゃうもんね!総司ばっかりズルイよね~。」 「いや、だから…。」 「そうかそうか、振られちまって可愛そうなヤツだなお前って…呑もう斎藤!俺たちが慰めてやる!」 「……………。」 本当はもっとセイの姿を見送って、記憶の断片を辿りたかったが、なんだか明後日の方向に話が進み、左之と新八に両脇を固められ、うやむやのうちにその場を退散させられる斎藤であった。 「…確かに可愛いが…。」 「ん?何だ斎藤?何か言ったか?」 「いや。」 斎藤の頬が少し染まったのを誰も知る由はなかった…。
その頃、セイはとある座敷に呼ばれていた。ところが呼ばれて座敷に上がって間もなく、『女、席を外せ』等とお決まりの文句を言われて別室で待ちぼうけを食っていた。
(何なのよ!身なりは立派だけど、なんて柄の悪い連中!秘密の会合すんなら妓遊びなんかすんなっつーの!) セイは心中毒付いた。 「太夫、姐さん方、またお客はんがお呼びでっせ。」 やれやれ、やっとか…とうんざりしながら元いた座敷に向かったセイだったが、障子を開けた途端にセイは豹変する。 「もう、旦那方ったら、焦らさないで下さいな。」 とにっこりと極上の笑みを浮かべた。太夫の美しさにその場にいた男共から感嘆の溜息が漏れた。セイはプロだ。まるで総司の相手をしている時とは天と地の差だった…。 「あああ、すまなかったな太夫…!さあ、こっちへ来て酌をしてくれ!」 「へえ、私なんかで宜しいんで?」 と言いつつ、心中真っ赤な舌を出すセイだった。 (早く終わんないかなぁ。) 笑顔の下でセイが心中ぼやく。だいぶ連中の酔いが回った頃、酒の力で勢り立った男の一人が 「土方め…目にもの言わせてくれようぞ…!」 と呟いた。え…?とセイは表情を崩さず耳を欹てた。 「おい、口を慎め。油断は禁物だぞ。」 とリーダー格と思われるセイの隣の男に嗜められた。 (土方って…確か沖田先生の話によく出てくる新選組の副長よね…?ってことはこの連中は長人?) 「ま、今宵は存分に存分に楽しもうぞ。前祝いだ!」 (前祝い…何の?) セイは尚も表情を崩さず、お酌をしながら思考を巡らせた。何だか悪い予感がする。どうやらこの連中、何かの計画を立てているらしい。その標的が土方…すなわち新選組だとしたら…?総司も当然危険に晒されるに違いない。全身の血の気が引いた。 (私…なんて奴らにお酌をしてるの!) セイは隣の男の顔を見て虫唾が走る。そして自分が心底情けなかった。太夫などと呼ばれても所詮は女郎、そして非力な女子。好いた男の敵と思われる輩を目の前にして、何も出来ない自分が歯痒かった。全くの清い仲で、ちっとも恋人なんて呼べる立場じゃないけれど…。 (でも…。沖田先生の危険を知っていて、何もしないなんて事出来ない!あの人を護りたい!) ふとセイは何かを思い立って、酌をする手を更に早め、隣の男に自分の身体を摺り寄せた。男の喉が鳴る。そして少し瞳を潤ませながら、可愛らしい唇をそっと耳元に寄せて何かを呟いた。
最近、総司に馴染みの妓がいるらしい。
ここは壬生にある新選組の屯所である。某幹部共の間では、そんな噂で持ちきりだった。 「で、どんな妓なんでぇ!?まさか禿だった、なんてオチじゃぁあるめえな!?」 「それって総司じゃ冗談にならないもんね。ところがどっこい、列記とした島原の遊女で、しかもなんと太夫らしいんだ!すっごい別嬪で、しかもかなり気風のいい江戸弁をしゃべる子なんだって!あの総司が三日と空けず通ってるんだから。」 「何ィ!?禿じゃねえんだな!そいつぁ目出度えじゃねえか!ってか平助、お前なんでそんなに詳しいんだよ!」 「だって俺、山南さんのお供で一度その置屋について行って、ちらっと姿を…いてててててててててっ!」 と男二人に同時に肘固めと四の字固めを喰らっていた。この三人、原田左之助、藤堂平助、永倉新八。言わずと知れた新選組の大幹部、おのおの一隊を率いる組長共である 「くそぅ!是非ともツラを拝みてえが、太夫じゃ手が出ねえ!」 と二番隊組長が叫ぶ。普段から酒だ、妓だ、と遊びまくっている彼らにそんな余裕はなかった。 「…誰のツラを拝みに行くんですか…?」 三人の背後から声が掛かる。と同時に三人は凍りついた。ギギギギギギ…と建付けの悪い扉が開くような音を立てて三人が恐る恐る振り返ると、薄ら笑い…いやいや微笑を浮かべる噂の一番隊組長がいた。しかしその目は全く笑っていなかった。 「…誰のツラを拝みに行くんです…?」 (((二度言うな~っ!怖ぇから~!))) 普段ボケ役の十番隊組長までもが心中ツッコむ。八番隊組長はすでに逃げ腰だ。その襟首を掴み、脂汗を掻きながらも二番隊組長は食い下がった。 「いやぁ、そのぉ何だ!あれだ!おめえの事を心配して言ってる、言わば兄心みてえなもんだろ!大事な弟が妙な妓に引っかかりでもしたら、近藤さんに申し訳がたたねえってもんだ!だからここはひとつ、様子を見に行ってやろうと…。」 「そうそう、決して野次馬根性や、あわよくば…。」 ボカッ★と左之の頭にすかさず鉄拳を食らわして黙らせた新八であったが、時すでに遅し。もう平助などは涙を流しながら、ガクガクと震えている。 「ふふふ、そうですか。それはそれはご心配痛み入ります…。それはそうと、皆さん夜道は気をつけて下さいね、最近物騒ですから。私も夜目が利かなくて困っちゃってるんですよね~。」 あはははは…と総司は笑いながら踵を返し、その場を去っていった。三人はへなへなとその場に崩れ落ちた。まるでたった今、総司必殺の三段突きでも喰らったかの如く…合掌。 |