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「……こんな所で何をしているんです…?」
超不機嫌な総司のくぐもった声が響く。 「だって私まだ一応新選組預かりですから!少しでも皆さんのお役に立ちたくてこうして賄い方さん達のお手伝いをしているんです!!」 セイが元気いっぱいに答える。周りの賄い方は華の出現にでれでれだ。総司は堪らずセイの手を引いて外へ連れ出す。 「何考えているんですか!!こんな男所帯に女子の分際で、無防備にも程があります!…それに何です、その格好は!」 わなわなと総司が指を差す。 「ええ、ですから男装してるんです!変ですか?」 彼女が嬉しそうに答えるその姿は流石に月代は剃ってはいなかったが、長い黒髪は後ろにまとめて高く結わき袴を穿いていておおよそ女子がする様な格好ではなかった。セイは袖を掴みながら総司の前でくるりと一回転して見せる。艶やかで真っ直ぐな黒髪は風になびき、袴の裾がひらりと翻る。それはまるで役者絵から飛び出してきた美しい若衆の様でその仕種は実に可愛らしかったが、総司は惚けている場合ではなかった。 「そりゃ可愛いですけど…ってそういう問題じゃな~い!」 ぶんぶんと総司が頭を振る。そんな総司を無視してさらにセイは張り切って言葉を続ける。 「ですからご心配下さるならどうぞ沖田先生、私をビシビシ鍛えて下さいね!剣術は兄上と稽古してしましたし、新選組の方々にはまだまだ足元にも及ばないでしょうけど、その辺の殿方には負けない自信はあります!いずれ皆さんにも追いつける程に清三郎は強くなりとう御座います!」 (そして沖田先生を護れるくらい強くなりたい…!) あまりのセイの張り切りぶりに総司はげんなりとする。 「あのねぇ、おセイちゃん…。」 「あ、今日からセイではありません!神谷清三郎と名乗りますので、先生もどうぞそうお呼び下さいね!」 嬉々と名乗るセイにぶちっと総司の中の何かが切れた。 「……そうですか。では神谷さん…私の稽古は荒く容赦がないと評判ですから覚悟して下さいね…。」 「…はい。」 只ならぬものを感じてセイの咽喉がゴクッと鳴る。 隊士連中が見守る道場の中、二人は稽古していた。 「…もう終わりですか?神谷さん…。」 (鬼~~~!!!) 隊士たちの心の叫びは総司に届くハズもなく。 「い、いいえ!まだまだぁ!」 総司にコテンパンにのされたセイがフラフラになりながら立ち上がろうとするが、足がもつれて思いっきり転んでしまった。涙を拭いながら尚も立ち上がろうと頑張るが総司に打たれた所と転んでぶつけた所が見事に紅く腫れ上がって痛々しい。皮肉にもその紅はセイの白い肌には一層映える。堪らず総司にぶちのめされる覚悟でセイに懸想した隊士たちが一斉に駆け寄ろうとするが、それは当の総司によって阻まれる。 「手出し無用です。神谷さんには指一本触れないで下さいね。」 と違う意味でも『私の神谷さんに手出し無用』と宣告され隊士たちが固まる。笑顔で言われるから一層恐い。そうして総司はセイに近寄ると 「だから言ったでしょう?」 と耳元で呟きセイを抱き上げる。目を潤ませながら真っ赤になって何も言い返せないセイに総司は続けて 「今日はとても動けないでしょうけど、今夜だって容赦しませんから。」 と止めの言葉を刺した。 「先生の助平!」 セイの渾身の一撃がパン!といい音を響かせて総司の左頬にクリンヒットした。しかしそんな事に全く怯む事無く総司はさらに凄む。 「おや、まだそんな元気がありますか?今度こそ腰たたなくして上げますからね…。…いてっ。」 抱き上げられているセイが総司の首元にしがみついた。総司はセイが観念して抱きついているのだと一瞬糠喜びしたが、総司の背中に小さな痛みが走る。セイが最後の抵抗とばかりに総司の背中に爪を立てたのだ。総司の眉がにわかに歪む。 何度も振り回されて怒って傷ついて
呆れ顔の土方に大いに涙を流す斎藤、そして何度総司にのされようともちょっかい出す気満々の長倉。原田、藤堂の三人組。ある意味まだまだ平和な時の新選組のお話。屯所内では桜の木は新緑が芽吹き初夏の訪れを告げようとしていた。こんな若人たちにももうすぐ熱い季節がやってくる。 当の二人は人気の無いところに着いても懲りずに今だ小さな攻防戦を繰り広げていた。ふいに総司が抱き上げているままのセイの胸に顔を埋める。 「ちょっ…、沖田先生…!?」 「…ほんとにもう。私以外の誰にも心許さないで。さもないと私どんどん意地悪になっていっちゃいますよ…。」 多分本気で言っている。あまりに勝手な言い草。なんて我侭な恋。でもその声が余りに真剣だったのでセイは一瞬ドキリとしたが、何とか絆されることなく総司の頬をつねって自分の胸から引き剥がす。 「ドサクサ紛れに何するんですか!私だって怒ってるんですから!わ~、ヒラメ顔が余計平たくなっちゃいましたね~!」 「………酷い。人が気にしている事を…。」 「あはははは…。」 総司の脅しに少しも屈しない。今度はセイが真っ直ぐな眼差しで答える。それは微塵の迷いも無く… 「…セイは貴方のお傍にいられる為ならば、他に何もいらないのです。だから…。」 いたずらは許して
「うん。幸せかも…。」
物凄い形相の総司がセイに詰め寄る。 「どーして黙ってたんですか!?」 「すみません…。」 総司に怒鳴られてしゅんとするセイに思わぬ助け舟が出た。 「言えばお前、賛成したか?こいつを危ねえ目に合わせたくねえとかうだうだ言ってやがったからな。こいつは俺が買わなきゃ他の奴に身請けされちまうトコだったんだよ!」 詰め寄る総司に対し、土方の背にセイが隠れる形になった。それが益々総司の癪に障る。 「う…、その構図、止めて下さい。まるで私が悪者みたいじゃないですかぁ。 太夫、そーだったんですか…?」 土方の背中越しのセイに疑問に加えて嫉妬心も絡まり、総司は尚も詰め寄る。 「…もう太夫じゃありません。」 「話、逸らさないで下さい。本当に…?」 「…はい。副長が身請けして下さらなければ私は大店に落籍されるお話がありました。だから私は副長のお話をお受けしたんです…てゆーか、正確には先に勝手に新選組に請け出されちゃってて、私には事後報告だったんですけど…。」 セイは恐る恐る土方の背から出てきた。そして総司は漸く全てを理解した。自分は土方らにグルになって騙されたと…。それで自分がどれほど落ち込んだかという事をいっそセイにぶつけてやりたかったが、それよりも… 「もう、なんて馬鹿なひとなんでしょう…!」 愛しくて、嬉しくて、一目を憚らず総司はセイを力いっぱい抱きしめた。セイがどこも怪我をしていないかを確かめる様に弄りながら。 「先生には…言われたく、ありま…せ…。」 セイも総司の背中に手を回す。言葉は涙で途切れた。…そこへ水を挿す低い声。 「お愉しみのところ悪ぃがな。こいつの身請け金は手前の給料から天引くからな、総司。完済するまでは全部が手前のもんって訳じゃねえんだから、そこんとこよ~く肝に銘じて…って言ってる傍からイチャつくんじゃねぇー!」 「…土方さん、ご尽力誠に有難う御座います。でもさっきからごちゃごちゃ煩いですよ。馬に蹴られる前にどっか行っちゃってくれません?」 カッティーン! 「あー、そうかよ!言っとくがな、新選組名義で身請けした以上、まだ俺(ら)のもんでもあんだかんな!時々摘ませて貰うかもな!はん!」 と土方は捨て台詞を吐いてその場を去っていった。総司の腕の中でセイはドキリとして土方の強引な口付けを思い出し、顔が熱くなるのを感じた。 (やだ、私ったら…。) 総司は漸く去った土方の背を見送りながら唇を尖らす。 「全くもう、何て事言い出すんでしょう、あの人は…って太夫、じゃあなくて…えーと、おセイ、ちゃん…?真っ赤ですよ。どうかしたんですか?まさか、土方さんにもう何かされちゃったんじゃ…。」 セイは総司に皆までは言わせず、総司の襟首を思いっきり引っ張って、精一杯背伸びをして、総司の口元を自分のそれで塞ぎ、言の葉の先を奪う。ちょっと驚いた総司だったが喜んで彼女に応えた。 そうあたし思い切って ………………な訳ではなく。新選組の屯所の台所に立っていた。
セイを迎えに来たのは斎藤一だった。斎藤は思わぬ特命に浮かれていた。『口外無用、総司には特に。』という辺りも尚良い。斎藤は深呼吸して勤めて冷静に襖の向こうに声を掛けた。
「新選組の者だ。あんたを迎えに来た。」 久方振りのセイとの再会。遊女になってしまったのは不憫だったがそれとて今日で終いだ。先日屯所に現れた彼女は以前よりも遥かに綺麗で、斎藤は彼女への想いを自覚した。総司の馴染みというのが気に入らないが、総司に内緒で身請けしてしまうとは土方副長もまた粋なことをする、と感心した。 「御免。」 高まる胸を抑えながら平常心、と自分に言い聞かせ襖を開ける。となんとセイが斎藤にダイブしてきたのである。 「兄上―――――ッ!!!」 どっきゅーん! (はうっ!) 斎藤の平常心はいとも簡単に剥がれ落ち、心の中で喘ぐ様な悲鳴を上げた。セイが自分の胸に抱きついている状況に心の臓は今にも破裂寸前である。セイが嗚咽しながら叫ぶその姿はまるで迷子になっていた小さな童子そのものでとても花街の太夫だったとは思えない程で…。 「兄上、兄上~、兄上~~っ!生きていて下さったんですね~!うわーんっ!あにうえ~~~っ。」 (…………ん?) 数秒硬直した後、斎藤は異変(?)に気づき、自分からセイをそっと剥がし恐る恐る声を掛ける。 「…と、富永?」 「……へ…?」 セイも久方振りに苗字で呼ばれ何だか様子がおかしい事に気づいてはっと顔を上げた。そしてやっと人違いに気づく。 「も、も、申し訳御座いません!わ、私ったら!お武家様のお声があまりにも死んだ私の兄と似ておりましたので…っ。」 セイは耳まで真っ赤になって慌てて土下座した。漸く平常心を取り戻した斎藤はそういうことか、と彼女の手を取って優しく語りかけた。 「いや、構わんよ。それよりおセイさん。俺を覚えているか?その…君の兄上と同門だった斎藤一だが…。」 セイは恐る恐る顔を上げて斎藤の顔をしげしげと確かめた。 「…!斎藤様っ。覚えております!吉田道場で兄上ととても仲良くして下っていたお方ですね!お懐かしゅう御座います!ああ、それなのに私ときたらとんだ早合点をしてしまい申し訳御座いません!私、斎藤様のお姿を拝見した事があっただけで、お声をお聞きするのは初めてでしたので…。」 セイは尚も謝罪する。斎藤は心の中でゴチる。 (…当然だ。富永がそれをさせなかったからな…。) 「これからあんたは新選組預かりとなる。宜しくな。」 「わあ、斎藤様も新選組だったのですね。それではこれから斎藤先生とお呼びさせて頂きますね。」 セイが先ほどの無礼への照れ隠しも含めはにかんだ笑顔を見せる。その笑顔があまりにも可愛らしかったので、斎藤の胸は再びどっきゅんと高鳴る。そしてあろうことかセイが下から斎藤の顔をマジマジと眺めていてその痛いほどの視線に自慢の平常心がいとも簡単に揺らぐ。 「こんなに兄上と斎藤先生が似ていらっしゃるとは気づきませんでした…。あの…兄上と呼ばせて頂いても宜しいですか…?」 (…『兄上』…『兄上』…『兄上』…。それはもしや一人の男としては見て貰えないんじゃないか…?) セイの言葉が斎藤の胸に木霊する。斎藤の心中はかなり複雑だったが愛しいセイのお願いには抗えなかった。 「…ああ、構わんさ。」 斎藤は平常心を装い泣く泣くその兄役を承諾する羽目になった…。 (沖田さんとは闘わずして負けた…。) 理不尽な敗北が斎藤を襲ったが 「有難う御座います!兄上~っ♪」 そう言って嬉しそうに腕を組んでくるセイに (いや、ある意味勝っているのか…?) と微妙な役どころと役得に少しだけ胸躍らせ、自分を慰めた。そんな斎藤の鉄火面の下の奥深~い心境を総司に負けず劣らず野暮天女王のセイは隣にいながら、これっぽっちも、欠片にも、小指の爪の垢ほどにも、微塵にも、全く知る由も無かった。
経緯はこうだ。場所は花家。
「…昨日の今日でいったいどうなすったんですか?」 意外な客にセイは驚きを隠せなかった。例の宴の翌日、土方がまた花家を訪れセイを指名してきたのである。たらしだ、何だ、と総司から散々聞かされてはいたけれど、昨日会ったばかりで、幾ら何でも早すぎる!とセイは閉口した。土方はまだ一言もしゃべらず酒を軽く仰っている。その横顔はあまりにも端整で、様子を伺っていた筈のセイがいつのまにか見とれてしまっていて、こんな綺麗な男の人もいるんだぁ…と妙な感心までしていた。不意に土方がこちらを向いたので、セイは慌てて目を逸らす。 「お前…身請け話があるらしいな。」 「え?」 土方の言葉にセイは心の臓が飛び出そうなほど驚愕した。 「総司は知ってんのか…?」 セイは言葉にならず頭を思いっきり振るだけで、涙も一緒に飛び散った。土方は深いため息をついた。 「…だろうな。あの馬鹿、間抜けにも程があるぜ。」 セイは尚も頭を振った。沖田先生が悪い訳じゃない、と思いながらもそれは言葉にならなかった。 「お前はそれでいいのか?」 土方がセイに訊ねるが、セイは俯いたまま何も答える事が出来なかった。土方はその仕種でセイの本心を知り、再び酒を仰ぎ始めた。二人の間に暫く沈黙が流れた。 胚をコトリと置き、その音でセイが顔を上げた時、土方が信じられない言葉を発した。 「お前の命、新選組が買う。」 一瞬、何の事を言っているのかセイには意味が解らなかった。大きな瞳をさらに見開いて土方の方を見た。 「聞こえなかったか?お前の命は新選組が買うと言ったんだ。」 不敵に笑い、土方がもう一度繰り返す。 「嫌か?俺の見たところお前は大店でなんか囲われる玉じゃねえ。総司の為なら例え火の中、水の中でも飛び込んで行くだろうよ。そんな奴が若旦那の機嫌だけをとって生きていられるかってんだ。ま、お前が嫌だと言ったところでもう女将には話をつけてきちまった。お前に選択権はねえ。」 土方の強引で決め付けた物言いにセイは思わず噴き出した。かなり無茶苦茶言われている様な気がするが、成る程当たっている。セイは堰を切った様にしゃべりだした。 「…こんな花の乙女を捕まえてあんまりな言い草ですね。それに私に断りも無くそんな大事な話を勝手に決めてきちゃうなんて、全く人の事を何だと思っているんだか。沖田先生といい貴方といい新選組の男ってば、ほんっっとにどうしようもない人たちばかりなんですね。呆れて物がいえませんよ。」 「散々言ってんじゃねえか。それに…何を笑っていやがる。」 つられて土方もふっと笑った。セイは銚子を手に取った。 「さ、副長おひとつどうぞ。」 「おう、手酌にしちゃあ随分高い酒だと思っていたところだ。」 「ふふ…。」 とセイがお酌をしようとした時、不意に手首を掴まれ銚子を取り落とす。驚いたセイが土方の方を向いた時、強い力で引っ張られて強引に唇を奪われた。とっさの事にどうしていいのか解らず、かわす事も応える事も出来なかった。漸く放されてセイは油断した…と荒い息で土方を睨みつけた。土方はそれすらも心地良さげにまた不敵な笑みを浮かべ 「高い買い物をしたんだ。これくらい貰ってもバチは当たんねえだろ。総司に言うか?」 とほんのり紅が付いて濡れた唇を舐めた。そして脇差を持ってすっと立ち上がり 「言っとくが平穏な暮らしはねえからな。それからぼやぼやしているヒマもねえ。早速だが働いて貰う。新選組の為にだ。後で迎えを寄越すから首洗って待っていろよ。じゃあな。」 と部屋を出るべく襖に手を掛けた。 「ちょっ…、副ちょ…。」 余りの一方的な物言いにセイが抗議をしようと声を上げた時土方が振り向いた。 「ああ、もうひとつ。件の仕事が片付くまでは総司に会うことも駄目だ。解ったな!」 と止めの一言。セイは思わず転がっていた銚子を投げつけたが、襖はピシャリと閉められ土方に命中することはなかった。部屋にぽつんと一人取り残されて 「ほんっとに新選組って~っ!!!」 とセイの叫びが虚しく花家に木霊した。
もっと見つめていて あたしきっと上手になって 香りある女になるから だから 暮六つ時。島原のとある座敷で宴会が繰り広げられていた。チントンシャン…と美しい三味線の音が響き、可憐な妓たちが舞っていた。そしてキリのいいところになって、三味線を弾いていた芸妓がパンパンと手を叩き、他の舞妓共に声を掛けた。 「…あんたらはもう戻ってええし。お疲れさんどす。はよ行きよし。」 「「「「「は~い。失礼しま~す。」」」」」 ばたばたと舞妓たちが部屋を出て行った。部屋には芸妓一人と浪人風の男共が十数名ほど残って一瞬しん…と静まり返る。それまで笑顔を絶やさなかった芸妓が一転変わって、神妙な面持ちで男共に小声を掛ける。 「ほんまにやってくれはるんどすやろね?」 「おう、任せておけ。俺達にも新選組には相当な恨みがあるからな。」 その頼もしい言葉に芸妓が手を叩いて喜ぶ。 「まあ、嬉しい!うちも新選組にすっごい憎いお人がおりますのや!もうそいつったら女心の欠片もわからへん野暮天やし、饅頭には目がないし、人のこと仔犬扱いするし、とんでもなく冷たい態度を取ったかと思たら、いけしゃあしゃあと会いに来はるし、上司はすっごい女ったらしやし…。」 「…お、おい?」 芸妓の物凄い剣幕に浪人共がたじろぐ。芸妓ははっと我に返って咳払いをした 「え?あぁ、こほん!えぇっと、とにかく!きっときっとうちの恨みを晴らしてぇや!お武家様!」 「ああ、お前が新選組の幹部共を誘き出す手筈でいいな!?」 「へえ、よろしおす。」 「では、決行は明日の暮れ六つで…。」 「…いいえ。」 「何?」 「…今すぐお願いします」 と同時に芸妓の後ろの障子がスパンッと開いた。障子の向こう、その芸妓の背後には新選組の面々がずらりと並んでいた。そしてその中の長身の男がずいっと一歩前へ出た。 「新選組一番隊組長沖田総司です!神妙に縛につきなさい!」 それを合図にわぁっと一斉に新選組の捕物が始まった。居を衒った浪人共が次々と捕縛されていった。ある者は抵抗し、斬り捨てられでずん、と畳の上に沈む。 「お、妓~!謀ったな~!!!」 その光景に狼狽した浪人の一人が裏切り者の芸妓に斬りつけようとするが、それは一瞬の風に阻まれた。ギリギリと刀の軋む音が辺りに響いた。 「…感心しませんね。丸腰の女子に斬りつけるなんて。ちょっと気持ちは解らないでもないですが、騙される男も悪いんですよ。」 と総司が自分の背に芸妓を庇い、返り血を浴びる事無く瞬時に浪人を斬れ付した。そして大方の捕物が終了した頃 「…沖田先生。」 ふと背中の羽織を掴まれる。総司はその聞き覚えのある声に驚愕して自分の背に隠したその人に恐る恐る振り返った。総司の心の臓は一瞬止まったかもしれない。刹那、声すら出なかった。 「………た、た、た、たた太夫~~!?」 総司の素っ頓狂な雄叫びが京都の闇夜に木霊した。その声に遠くで野犬が共鳴し、わぉ~んと遠吠えも聞こえたとか。(笑)
「おい!総司、どこ行ってやがったんだ!!!フラフラほっつき歩ってんじゃねえ!!!」
「ひどいなぁ…土方さんったら……。」 と言いつつ総司の顔はへらへらと笑っていた。一見いつも通りの様だが、弟分の張り付いた笑顔の能面にこの勘のいい兄分が誤魔化される訳もなく… 「ん…?どうした?妓にでも振られたか?」 総司の能面が一瞬固まる。その笑顔を崩す事はなかったけれども。しかし流石の土方、いきなり図星を突いて来た。総司は笑顔の下でセイが身請けされてしまった事を土方に話そうかどうしようか迷った。先日会わせたばかりなのに早々にこんなことになってしまって、本当に土方の忠告通りになってしまい何をどう話していいのかわからなかった。それ見た事かと罵られるだろう。総司は困った様にいつもの愛想笑いをするしかなかった。 「…ふん。まあいい。それより仕事だ!」 「……………はい。」 (ちっともよくないんですけどね…。) しかし仕事に私情を挿む事は局中法度はおろか、総司自身もそれを由とはしなかった。総司は自分の感情を斬り捨てた。 すでに近藤、山南と始とする幹部連中は局長室に揃っていた。総司は何事もなかった様にすっと列に習って座った。 「よし、これで揃ったな。例の長州浪人どもの会合場所が判明した。囮を使って奴らを誘き出し一網打尽にする!決行は暮六つ!左之の十番隊は気取られる事無くいつも通り巡察に向かうべし。一番隊、二番隊、三番隊は食事を済ませ夜まで待機。いつでも出られる様にしておけよ!久々の大捕り物だ!」 土方の指示に、おう!と皆の雄叫びが上がる。 「大丈夫か?沖田さん。」 同室で鎖を着込む総司に斎藤の声が掛かる。 「何がです?」 「いや、いい。」 斎藤も総司の様子が少しおかしい事に気づき何か言葉を掛けてやるつもりだったが、相変わらず笑みさえ浮かべている総司にもはや何を言っても届くまいと悟った。総司の瞳は斎藤はおろか、何も映してはいなかったからだ。光さえなかった。 斎藤の胸がちくりと痛んだ。
ドサッ!
総司が饅頭の包みを落として自分の耳を疑った。 「…今、何て言ったんです?」 「せやからセイ太夫は先日落籍されました。」 「…やだなぁ、何言って…。」 「沖田センセ…。」 花家の女将と総司のやり取りを立ち聞きしていた明里がどうにもやりきれず、奥から青白い顔を出す。 「あ。明里さん。冗談なんでしょう?太夫はどこです?」 「…沖田センセ……ほんまなんどす!おセイちゃんはもうここにはおらんのどす…。」 「…とか何とか言って、また拗ねちゃってどっかに隠れてるんじゃないんですかぁ?」 「………ここには…おらんのどす…。」 明里はその場に泣き崩れた。明里の嗚咽が花家に響いた。その痛々しい光景に呆けていた総司もどうにも観念せざるを得なかった。 「…そうですか。はは…お饅頭、無駄になっちゃったなぁ。」 夕焼けの中、総司はトボトボと来た道を歩いていた。乾いた下駄の音がやけに大きく虚しく響く。結局セイの落籍先すら教えては貰えなかった。 (嫌だなぁ。乱心の余りそこへ斬り込むとでも思われてんでしょうかね?やれ壬生狼だ、人斬りだ、などと言われているからっていくらなんでもそんな事はしませんよ…。ただ…。) いつの間にか屯所への道を外れてどこかの寺の境内に来ていた。 「あれ…?」 ここはどこだ…?と辺りを見回すと一本の大きな木が目に入った。今正に満開の桜の木だった。刹那に吹雪いて桜の花びらが雨の様に総司に降り注ぐ。 「全く、どこまでも嫌味なんだから…。」 セイに初めて会った時、自分は迷子になって泣いていた。それまでの総司は齢十にもなるというのに馬鹿がつくほど泣き虫で、よく泣いて駄々をこねては姉たちや近藤を困らせていた。 セイはその時泣いてはいなかった。自分よりずっと小さな女の子が精一杯涙を我慢して目を見張りながら必死で兄を探していた。あまつさえ、泣いていた自分に『武士の子は泣いちゃ駄目』と嗜め、励ましたのだ。 それから自分は泣かなくなった。泣けなくなったのだ。当の彼女は今でもあんなに泣き虫のクセして。 総司は自分の頬にそっと手をやった。しかしそこに伝うものは何もなく、さらさらと乾いた頬の感触に自分でも呆れ果てた。 「…こんな時にすら涙も出ないなんて、貴女のせいですよ。」 自分に関われば貴女が不幸になると解っていながら、それを願ってしまった自分にバチがあたったのか?理不尽でしょうけど、それでも私は貴女を恨みます。きっと幸せになってと思いながらも、私を捨てた貴女を恨みます…。 泣けない総司の代わりに桜の雨はいつまでも降り続いた…。 「ただ、貴女にもう一度会いたかった…。」 完。 …な訳もなく、傷心の総司に現実は容赦なかった。やっとの思いで屯所に帰った総司に土方の怒鳴り声が響く。
「総司、トシから聞いたよ。お前のいいお人は我が新選組の為に大層素晴らしい働きをしてくれたそうじゃないか!なんともお前にふさわしい勇敢な女子ではないか!私は嬉しいよ!」
新選組の屯所に久方ぶりに長の豪快な声が響いたのは次の日であった。新選組局長、近藤勇である。近藤は出張から帰営して早々総司を呼び出し、開口一番そう告げた。 「こ、近藤先生…っ。何も泣かなくても~…。」 総司は自分の敬愛する近藤に、急にセイの話題をされて耳まで真っ赤になった。近藤は本気で涙を流している。その隣で土方がニヤニヤしていた。…何か企んでいる笑い。総司は嫌~な予感がして額にツツ、と脂汗を流す。涙を拭い、近藤がさらに言葉を続ける。 「私の留守中にそんな事があったとは…すっかりお礼が遅くなってしまった。是非とも彼女にお礼がしたいので、明日にでも一席設けようではないか!総司の選んだそのお人のご尊顔も賜りたいしな!なあ、総司!会わせてくれるな?」 「えええ~!?」 土方の時は嫌だと即答したが、さすがの総司も近藤に言われればとても断れない。土方の高笑いが聞こえる様だった…。 近藤、土方、沖田と花家に馴染みのいる山南も参加して、早速次の日には花家で宴が催された。 「ようこそ、おいでやす。」 四人の待つ座敷にセイ、明里、他の妓たちがやってきて、座敷が一気に華やいだ。近藤は早速セイに声を掛ける。 「貴女ですか?我が新選組の為に尽力してくれた総司の敵娼というのは!件で真っ先にお礼に駆けつけなければならぬものを、この様に遅くなってしまって面目至極もない。あ、申し遅れました。私は新選組局長の近藤という者で、いわば総司の親代わりです。こいつは末っ子の為か、どうも甘えたでね。きっと貴女に迷惑をかけてばかりでしょう。申し訳ない。」 近藤が深々と頭を下げる。近藤にかかれば総司など大童である。 「近藤先生…、あんまり余計な事言わないでくださいよぅ。」 と総司があたふたするが、そんな総司を尻目にセイは 「まあ、そんないけません、お顔をお上げになって下さいまし。」 と近藤に頭を上げさせ、ふっと気品ある笑顔で言葉を続ける。 「花家の太夫でセイと申します。近藤局長様のお話は沖田先生からいつも伺っておりましたので、お目にかかれて大変光栄にございます。そんな…尽力だなんて滅相もございません。こんな卑しい妓に勿体無いお言葉を仰って頂き、お心痛み入ります。こちらこそ出過ぎた真似をしましてお詫びの言葉もございませんそれをご容赦頂けるだけでも有難いのに、こんなお心遣いまでなさって頂いて、なんとお礼の葉もございません…。どうぞ、今宵はご存分にお寛ぎ遊ばして下さいまし。」 と何とも堅苦しい挨拶が交され、総司は蚊帳の外に放り出された。セイは極上の笑みで近藤に御酒を勧める。 「なんとも控えめで気品のある美しい人ではないか!上品で慎ましい貴女にそんな武勇伝があるとはまるで信じられない!お前には勿体無いくらいだ!なあ、総司!」 近藤は一目でセイを気に入り、益々上機嫌だ。 「はあ…ありがとうございます、近藤先生。」 と総司は応えるものの、怪訝な表情を浮かべる。チラッとセイの方を見やるが、セイは余裕の笑みで返す。 「ほう、あんたか噂の太夫か。俺は副長の土方だ。一応俺からも礼を言わせて貰おう。」 「まあ、そんな副長様まで…恐れ入ります。」 そう言ってセイは土方にも酌をした。杯を受けながら土方は尚もセイの顔をじろじろと眺める。その切れ長の瞳に見つめられてセイがたじろぐ。土方にこんな眼差しで見つめられたら、普通の女子ならイチコロであろう。セイは女の直感で思う。 (この人…女子の扱い慣れてる…。ってゆーか慣れ過ぎ!) 「へえ、確かに総司の敵娼にしちゃ悪かねえかもな。」 「ふふふ、お上手ですね。」 少し警戒しながらも、セイはさらに極上の笑みでかわし、総司の脇に戻っていった。土方はその尻を見送りながら 「ふーん。」 と何かに感心したかの様に杯を仰いだ。 自分の隣に戻ってきたセイを総司が肘でこつく。 「…?何ですか?」 セイが総司の方を向き、首を傾げる。総司はセイの耳元に小声で囁いた。心なしか少し拗ねた様子だ。 「…また随分いつもと違うじゃないですかぁ…。私にはあんな風に優しくしてくれた事なんてないくせに。何をそんなに大きな猫を被ってるんです…?」 と口を尖らせる総司に 「こっちがいつもの私です。先生のお相手してる時は先生に合わせているだけですから。」 セイはしれっと答えて総司にも営業用の笑みをくれてやった。総司が呆然とする。そんな様子を山南と明里はくすくすと楽しそうに眺めていた。 (女子って恐ろしい…。) 総司は心底痛感して肩を竦め、自分の杯をちろっと舐めた。 宴も酣(たけなわ)になった頃、 「トシ、何だ随分長い厠だったな。腹でも下しているのか?」 暫く席を外していた土方に心配した近藤が声をかける。 「近藤さん、こんな席でそんな無粋な事言うねえ。少し酔いを醒ましていただけさ。そろそろお開きにしねえか?」 「ああ、そうだな。総司はどうするかね?」 「明日は巡察がありますから一緒に帰ります。太夫、また…。」 総司が名残惜しそうにセイの手を一瞬強く握って離す。 「はい…。」 あと三日もない自分の身請け話を総司にはしていない。とても出来なかった。もう遅い、と思いながら、セイは総司に今凄く愛されている実感があった。総司の感触が残る自分の指を握り締めてセイは刹那の幸せを噛み締めていた。 (もう少しだけ…。) その時土方もセイに声をかけてきた。 「今日はありがとよ。どうやらあんたとは長い付き合いになりそうだ。これからも宜しくな、おセイさん。」 ポンッとセイの肩を軽く叩く。セイにはとても返事が出来なかった。そしてこの含みのある言葉の意味をこの時のセイには知る由もなかった…。 「太夫と何話してたんです…?土方さん。」 廊下の角を曲がったところで総司が土方を待ち伏せていた。総司の眉間には珍しく二本の皺。土方はいつもの事だが。 「別に…手前がふがいねえからな。宜しくしてやってくれと挨拶してやってたんだよ。」 「…ほんとにそれだけですか?」 納得がいかない総司は敵意満々だ。 「他に何があんだよ。しかし確かに思ったよりもいい妓じゃねえか。ぼやぼやしてっと誰かに捕られちまうから気ィつけな。」 「余計なお世話です。」 ぷいっと総司が土方に背を向けた。 総司の背中を見送った後、堪えていた涙が一気に溢れ出す。 (今だけは私…先生の恋人と思ってもいいんですよね…?) こんなに幸せな事はなかった。総司に愛されている実感…。総司の身内に紹介して貰えた事…。でも所詮は女郎。自分には過ぎた幸せだったのだ。そう思うしかなかった。 「……ふぇ……ぅ…せんせぇ…っ。」 セイはその晩声を上げて童子の様に泣き明かした。 ごめんなさい、沖田先生。 セイは貴方を裏切ります。 でも、セイは幸せでした。 他のお人に落籍されても貴方の事だけを生涯慕い続けます。 こんな私はきっと地獄に落ちるでしょう。 沖田先生、こんな私をずっと憎んでいて …………… 私を忘れないで。
セイは自分の膝を枕にして眠る愛しい男の髪を撫でた。その細い指先が骨ばった大きな手にはしっと掴まれた。
「先生、起きてらしたんですか…?」 「すみません…その…○回も…。」(○には好きな数字を入れよう!(笑)) …情事の後で色気もヘッタクレもない言葉。セイが呆れて言葉を返す。 「相当溜まってらしたんですねぇ。」 「あ、そーいう事言いますか?私がここに至るまでにどれだけ苦悩した事か…。」 「わあ、先生もそんな事考えていらしたんですね!知りませんでした!てっきり私よりお饅頭が恋人なのかと…。」 「そりゃお饅頭も好きですけど…十年来の恋を実らせるのに、この繊細な男心がわからないかな…もう。」 「え?何ですか?」 「いいえ、何でもありません!そうですね~、この太腿もお饅頭もみたいでおいしそうですよね!」 とセイの白い太腿を撫で上げて間髪ド突かれる。所詮今まで散々ド突き漫才を繰り広げていた二人には、 いざコトに及んだからといって、途端に艶っぽい関係には為りきれる筈もなく、こんなピロートークがお似合いであった。 総司が突然、そうだ!と思いついた様に口を開く。 「そーいえば、聞いてないんですけどね…。」 「何をです…?」 セイは首を傾げた。 「その…貴女から…あ、愛の言葉…。」 「…はあ!?」 「…だって~、私は今日散々言いましたよ。だのに貴女は『嫌い』の一点張りで…(泣)。今はそうじゃないって解っているつもりなんですけど、やっぱり聞きたいじゃないですかぁ。」 (ほほう、この野暮天からこんな言葉を聞く日が来ようとは…。) とセイは妙な感心をした。あの野暮に泣かされた苦悩の日々がセイの心に走馬灯の様に駆け巡り、 懐かしさすら覚えて遠い目になった。明後日の方角を向いてうっとりと目を細めているセイに対して 「ねえ、太夫ってば!」 総司が痺れを切らした様に拗ねた口調で強請る。強請られて言うのも何だか恥ずかしいが、こんな事に意外と頑張る総司に観念してセイはそっと彼の耳をくすぐる様に小さく呟いた。 「…お慕いしております…」 「え?よく聞こえなかったですよ。太夫もう一度…。」 「もう二度は言いません!女子に恥をかかせないで下さい!」 「えええ、そんな~っ。」 何だか納得出来ない総司だったが、セイと通じた幸せを噛み締めて、今度こそセイの膝の上で眠りについた…。 総司の寝顔を見つめていたら、ふと彼の髪を撫でる手が落ちてくる雫に濡れる。セイの瞳から大粒の涙が溢れていた。 (先生、ごめんなさい…ごめんなさい…ごめん、なさ…。) セイは精一杯声を殺して泣いた。 …総司は気付かない。 |