とある街道を東へと急ぐ小さな影。
「遅くなっちゃったなぁ…。」
大きな風呂敷包みを抱えた宗次郎が小走りに道を急ぐ。
「早く帰らないとまたおかみさんに怒られちゃう…。」
この時は取るに足らぬ事ではあるが、この少年の足の速さ、
彼の齢にしては些か尋常ではなく、後の彼の気質を思わせたが、
それはまた別の話。さて…。
宗次郎が街道沿いのとある神社に差し掛かった時、
「…セイ!」
大きな声が聞こえてふと足を止める。
「ついて来ては駄目だと云ったろう!」
神社の門前で小さな兄妹が何やら問答しているのが見えた。
その後ろで神主がほうきを持ちながらやれやれ…
という面持ちで二人を見ていた。
そこを通る参拝客も微笑ましく眺めている。
「遊びに行く訳ではない。父上の大事な使いなのだ…。」
「嫌です~!!!セイも兄上とゆきますぅ~!」
どうやら兄が小さな妹を嗜めている様だった、が。
「あ…。」
彼がその小さな方に目を留めた途端、ふと驚きのあまり、
ついぞ声が出てしまった。
あの子…八幡様で会った…。
桜の精…。
と、思うが同時に小さな方がバッと宗次郎の方に振り返る。
先程の彼の声が聞こえた様だった。
え…?
とっさに振り向かれ、宗次郎は少女と目が合い、
ドキリとする。
彼女の大きな目には大粒の泪。
「ん?どうしたセイ?」
すると妹の様子を伺って、兄の方も宗次郎を見やる。
二人に怪訝に見つめられた宗次郎は、よろよろと近づき、
バツが悪そうに声を掛けた。
「あ、こんにちは…。」
そして、えへ…と眉を顰めて笑いながら挨拶をしてみる。
「あ!!」
今度は少女の方が叫んだ。
彼女の方にも辛うじて微かにまだ記憶に残っていた様だ。
(誰…?)
妹の様子に兄が少し驚いて疑問を抱く。
が、これは好都合とばかりに宗次郎に声を掛ける。
「やあ、セイのお友達かい?」
「はは…。」
友達…といえるのだろうか?
市谷八幡で迷子同士ちらっと会話を交わしたことがあるだけだった。
少女のマジマジと見つめる視線が痛くて、
宗次郎は返事をする訳でもなく愛想笑いをする。
「ちょうど良かった。
小半時、この子とこの神社で遊んでやってくれないか?
神主さんもおられるし。
用事を済ませたら、すぐに迎えにくるから。」
兄の言葉にガン!と少女はショックを受ける。
兄は自分を置いて行こうとしていたのが分ったからだ。
「え、あ、はい!」
そして宗次郎も思わず良い返事をしてしまった。
「私はセイの兄の富永祐太郎と申します。君は…?」
武家の出なのだろう。
祐太郎と名乗る少年は礼儀正しく名乗った。
齢は宗次郎よりも少し上の様だが、末っ子と兄の違いだろうか。
二人の行儀の差は歴然だった。
「あ、お、沖田宗次郎です!!」
宗次郎も慌てて名乗った。
「…では宗次郎殿。妹を…セイを宜しく頼みます。」
祐太郎が頭を大きく下げる。
「は、はい!」
宗次郎もピシッと背筋を伸ばして答えた。
そして、大変な事を任されてしまった…と内心ドキドキするのだった。
「あにうえ~~~。」
祐太郎の袖を掴み、妹のセイが更に泪をためて訴えるが、
「いい子にしているんだよ、セイ。すぐに迎えに来るからな。」
祐太郎はセイの頭を撫でて優しく云った。
きっと彼も可愛い妹を託すのには多少の引っ掛かりはあるだろう。
そして頭を撫でた手をそっと離し、セイを残し立ち去った。
「あにうえ~…。」
ポツンと残されたセイはいつまでもいつまでも
祐太郎の背を見送っていた。
寂しそうな彼女に何て声を掛けて良いものか、
暫く悩んでいた宗次郎であったが、意を決して声を掛ける。
「と、とりあえず何して遊ぶ?」
すると今まで泣いていた彼女がそれには答えず、
くるりと宗次郎に背を向けてスタスタと歩き出す。
「…ってドコいくの!?」
宗次郎が彼女の後を慌てて追う。
「せっかく神社にいるんだもの。お参りするわ!」
泣いたカラスが…もう、怒ってる?
宗次郎は彼女の横に並んで歩いて顔を覗く。
ほんと…お人形さんみたいな子だなぁ…。
セイの真っ直ぐな黒髪と大きな瞳は
正に日本人形の様に愛らしかった。
境内に着くとセイはガラガラと鈴を目一杯鳴らし、
パンパンと拍手を大きく打つ。
でも、やる事豪快だけど…。
宗次郎は思うが口には出さなかった。
こんな小さくても気の強い子だもの、殴られるかも…
とヒヤヒヤした。
「じゃあ私も…。」
せっかくなので宗次郎も一緒にお参りをすることにした。
彼女の横で一緒に手を併せる。神仏に願う事は…
立派な武士になれますように。
若先生のように強くなれますように!
そして歳三さんに勝てますように!!!!!←大本命。
一通り、心に願い事を唱えた後、
宗次郎はちらりと片目を開けて横を覗く。
セイは目を閉じて今だ手を併せていた。
…かわいいなぁ。
何をお願いしているのかな…?
宗次郎がそう思うと同時にセイが突如叫んだ。
「兄上のお嫁様になれますように!!!」
その大きな声に宗次郎はギョッとしたが、
「な…。」
それよりも何よりもセイの願い事の方が彼の心に引っかかる。
なんだろう、このもやもやした気持ち…?
そうだ!この子は勘違いしている!教えてあげなくちゃ!!
そう思って宗次郎はセイに声を掛けた。
「きょ、兄妹はケッコンなんてできないんですぅ~。」
宗次郎の言葉は何故か意地悪口調になってしまっていた。
「できるもん!」
ガンッと頭にきたセイが宗次郎に噛み付いた。
「できない!」
負けじと宗次郎が言い返す。
「できる!」
セイも負けてはいなかった。
「で~き~な~い~!」
「で~き~る~!」
「こ、これ…。坊たち…。」
見かねた神主が声を掛けるが二人の間にはとても割って入れず…
二人は夢中で言い合った。
あまりにもセイが頑なものだから、宗次郎のイライラは絶頂になり、
「できないったら!!!」
と殊更大きな声で否定してしまった…。すると…
「うわあああああぁ~ん!」
とうとうセイは泣き出してしまった。セイの嗚咽が境内中に響き渡る。
一斉に参拝客が二人に注目する。
「えっあ、ごめん、泣かせるつもりじゃあ…っ。」
はっと我に返った宗次郎が慌ててセイを慰めようとするが、そこへ…
「おい!ソージじゃねーか!!こんな所で何してやがんでぃ?」
聞きなれた嫌~な声がして、宗次郎は恐る恐る振り返る。
その声の主は…。
「歳三さん!!」
歳三が偶然通りかかって声をかけてきた。
行商の途中なのか背には石田散薬の薬箱と幟。
「お、いっちょ前に女泣かせてやがんのか!?生意気な。」
ニヤニヤと宗次郎を冷やかす。
女泣かせではこの男に適う者はちょっといまい。
「え、違…っ。」
慌てて否定する宗次郎だが、実は違わない。
それでも尚、言い訳しようとする宗次郎の頭を鷲掴みに押しやり、
歳三は今だ泣き止まぬセイに声を掛けた。
「悪ィな、嬢ちゃん。こいつは女心がわからなくていけねぇ。
そんなに泣いたらせっかくの別嬪さんが台無しだぜ。」
百戦錬磨の台詞…の筈だった。
が、幼女には十年早かったらしく…
「びえぇ…鬼が出たぁ…こわいよぅ…!」
セイが歳三の風貌に怯えて更に泣き出した。
「誰が鬼…っ。」
「や…。」
セイが恐怖の余り、ギュッと目を瞑る。
何といっても二枚目で通していた歳三だ。
子供とはいえ女子に嫌がられたのが癪に障って、
大人気なく歳三が声を荒げようとした時…
「お、何だソージ?」
宗次郎が自分の背にセイを隠す。
怒鳴られると思って瞑った目をセイは今度は驚いて大きく見開く。
宗次郎の小さな背でも、もっと小さな彼女には大きく見えて…。
「いくらこの子が可愛いからって
歳三さん手を出しちゃ駄目ー!!
ついでに泣かせちゃダメ~!」
宗次郎が張り叫ぶ。
「誰が出すか!!!ってかお前が泣かせてたんだろが!」
そしてその言葉に更に青筋を立てた歳三が大人気なくツッコむ…。
しばらく睨み合いが続いていたが
「え…?」
ふと宗次郎の背中の着物を掴まれる。
歳三との言い合いに夢中になっていて彼女の事をふと忘れていたが。
そこには宗次郎の着物を掴んで彼に頼る彼女の姿があった。
宗次郎は初めて女子に頼られて、ほんわかした気持ちになる。
そして照れたようにセイに声を掛けようとした時…
「あ、あの…。」
「あ!」
だー!とセイが宗次郎の背を離れて駆け出した。
「えええっ…!?」
宗次郎が言の葉の先の行き場がなくなってしまった。
「兄上~!!」
その先には祐太郎がセイを迎えに立っていた。
「セイ、遅くなってすまない。いい子にしてたかい?」
「あにうえ~!」
セイは嬉しさの余り祐太郎に飛びついた。
それをしっかり祐太郎は受け止める。
彼女の中に確かに芽生えたものがあったに違いないのに、
それは最愛の兄の出現にいとも簡単に吹き飛んでしまっていた…。
あっけに取られた宗次郎はしばし放心状態になって石化してしまった。
「お?」
歳三も拍子抜けで間抜けな声を出した。
祐太郎はセイを連れて宗次郎と歳三に一礼して立ち去って行った。
セイは今度は兄の背に隠れてしまって
宗次郎と少しも目を合わすことはなかった。
宗次郎の心にはぽっかりと大きな穴。
カラス鳴く夕焼けの中、二人はトボトボと試衛館への道を帰っていく。
「よお…見事に振られたなぁ、ソージ。」
歳三が慰めるでもなくからかうでもなく宗次郎に声を掛ける。
「そんなんじゃないですってば!」
宗次郎が否定するが強がりにしか聞こえなかった。
「…で、何でまたあの子泣かせてたんだよ。
女泣かすなんざ十年早ぇんだよ、ソージのクセに。」
「そ、それは、だって…。」
あの子ってば、私と一緒にいるのにお兄さんのことばかりいうんだもの…。
あまつさえ…お、およ、お嫁様だなんて…っ。
…あの子がお嫁様になったら、さぞ可愛いんだろうなぁ…。
そこまで考えて宗次郎はぶんぶんと頭を振る。
「いいんです!私は剣術に生きるって決めましたから!
女子など修行の邪魔です!」
「へえぇ、そーかよ。生意気な。」
歳三が宗次郎の頭をぐりぐりと小突いた。
「あ!」
宗次郎がまた急に叫んだ。
「今度は何だよ!?」
歳三が聞き返す。
そうだ、ほんとはあの時のお礼を云う筈だったのに
本当に何で泣かせてしまったんだろう?
『私は貴女のお陰で泣き虫を卒業できたんです。
こんな私でもいつかは公方様のお役に立てるんだと
信じられる様になったのは貴女のお陰なんです…。』
彼女に誓った言葉を心に繰り返す。
「…秘密です。」
でもそれは口にしちゃいけない内緒の誓い。
「変なヤツだな…。」
歳三が呆れて溜息を漏らした。
今度会ったら絶対に云おう。
――――――また会えるかしら?
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